竺仙(ちくせん)は、東京都中央区日本橋小舟町に存在する浴衣・江戸小紋中心の呉服屋。正式商号は株式会社竺仙。
概要
初代は天保年間の創業であり、150年以上続く老舗である。
戦後、初代竺仙ゆかりの地浅草に店舗を構えるが、百貨店、高級呉服専門店からの声がかかり日本橋に移転した。
現当主は先代からの能衣装、古代紋様に加えて正倉院紋様、宗達・光琳の創作再現を積極的に行っている。
江戸染浴衣の独特な技術が有名となり、歌舞伎の世界でもその生きざまが描かれている。(古代型新染浴衣)
毎年1月と2月に東京、京都で百貨店、専門店を対象とした展示会を開催しており、この展示会を基に年間の生産、販売活動が計画され、一年間の営業活動が展開される。
江戸小紋などの春・夏ものを展示し、2月は同じテーマで京都で西日本を対象に開催している。
手彫の型紙で一反ごとに手染めをする「型染め」を、現在でも続けている。
「
呉服、染物の金家竺仙」
金家竺仙は、嘉永6年(1853)創業の風流古雅にして渋味ある、斬新奇抜な意匠で知られた染物屋。小紋の浴衣が大人気であった。「ちんちくりんの仙之助」といわれた創業者の橋本仙之助 は、その綽名を縮めて竺仙を店名とした粋人で、大久保紫香(蔵書家、質屋 1863 - 1926)、
永井素岳(書家、劇評家 1852 - 1915)、
幸堂得知(文学者、劇評家 1843 - 1913)ら通人たちと親交があった。 仙之助の次男、英二郎は、父から独立し支店を任され、熟練した妙技をもって染物の新意匠を案出、人気を博し、日本図案会の評議員を勤めた。小紋の描かれた反物の絵あり。「金家竺仙は中形染物を以て有名なり花柳に及ひ藝人社会に最も歓迎され竺仙染といふて東京名物の一品也」と記載あり。「呉服太物商 各色友禅染東京市淺草區北富阪町十九番地 金家端竺仙分店橋本英二郎」と書かれた紙片が書き写されている。
— 清水晴風著『東京名物百人一首』明治40年8月「」より抜粋[1]
歴代当主
- 初代: 仙之助
- 元は銀座の商家で修行をしたらしい。
- 竺仙という商号の由来はこの初代の背が低かったことから「ちんちくりんの仙之助」→「ちくせん」→「竺仙」となったと言われている。
- 二代目: 仙之助(同名で通し商い)
- 三代目: 軍治
- 関東大震災で焼ける中、型紙を持って逃げたという逸話がある。
- 尾形光琳に心酔していた。自ら「光甫」と名乗り、浴衣の作品のデザインにも大きく影響した。
- 四代目: 茂夫
- 五代目: 文男(現代表取締役)
- 平成4年 竺仙デザイン研究所設立
竺仙さろん
「江戸っ子の美意識」をキーワードに、江戸文化についての各分野の研究者を招いたセミナーを月に一度行っている。(平成20年内で休止予定。)
また、能・歌舞伎などの伝統芸能を鑑賞する機会も設けている。
脚注
- ^ 清水晴風著『東京名物百人一首』明治40年8月「」国立国会図書館蔵書、2018年2月11日閲覧
関連項目
外部リンク