稲葉 彦六(いなば ひころく、1872年7月4日(明治5年5月29日) - 1955年(昭和30年)9月24日[2])は、日本の教育者・文部官僚。族籍は茨城県士族[3]。長男は鉄道建設興業(現:鉄建建設)元社長の稲葉通彦。
経歴
茨城県水戸市出身。茨城県士族・稲葉通明の長男として生まれる。1898年(明治31年)、東京高等師範学校を卒業。長野県師範学校教諭、京都府師範学校教諭を経て、1902年(明治35年)に東京高等師範学校教諭、1911年(明治44年)に同教授となった。1927年(昭和2年)、文部省督学官に転じた。1932年(昭和7年)、奈良女子高等師範学校校長に就任。1938年(昭和13年)に退官し、奈良女子高等師範学校名誉教授の称号を得た。
家族
略系図
著作
- 『新撰植物教科書』(大日本図書、1904年) 斎田功太郎と共著
- 『中学生理衛生教科書』(光風館書店、1917年)
- 『簡易鉱物実験手引』(光風館書店、1918年)
- 『師範学校生理衛生教科書』(光風館書店、1918年)
脚注
参考文献
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第11版』帝国秘密探偵社、1935年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版(下)』人事興信所、1939年。
奈良女子大学学長(奈良女子高等師範学校長:1932年 - 1938年) |
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