赤松 照彦(あかまつ てるひこ、1907年(明治40年)11月22日 - 1994年(平成6年)[1]12月21日[2])は、日本の政治家。初代磐田市長[1][3]。第2代磐田東高等学校理事長・校長。
経歴
静岡県出身[3]。男爵赤松範一の長男として生まれる[3]。祖父は元幕臣赤松則良。1934年(昭和9年)京都帝国大学経済学部を卒業後、陸軍に入る[4]。中尉、大尉に進む[4]。除隊後、満洲パルプに勤務。
その後、1947年(昭和22年)株式会社万年社社長となる[4]。同年4月に磐田町長に当選[4]。翌年、磐田町の市制施行により[4]、初代磐田市長(在任期間(1948年(昭和23年) - 1963年(昭和38年))に就任し、磐田町長時代も含めて4期16年にわたり地域の発展に貢献し、戦後の磐田市の復興を牽引した[1][3]。
退任後の1964年(昭和39年)、磐田東高等学校の第2代理事長・校長 に就任した[5]。
栄典
人物
趣味は旅行、写真[3]。宗教は曹洞宗[3]。
家族
- 女子学院卒[3]。父は医学博士の南俊治[3]。
- 学習院女子短期大学卒[3]。
脚注
- ^ a b c “赤松文庫について | 磐田市立図書館(静岡県)”. www.lib-iwata-shizuoka.jp. 2024年10月19日閲覧。
- ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』、14頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 人事興信所 (1969年). “人事興信録 第25版 上”. dl.ndl.go.jp. pp. 91-92(あ之部). 2024年10月19日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『日本の歴代市長』第2巻、406頁。
- ^ “沿革 | 磐田東中学校・高等学校”. 2024年10月20日閲覧。
- ^ “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年8月17日閲覧。
- ^ 『会社四季報:未上場会社版』1号、東洋経済新報社、1998年、82頁。
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第25版 上』人事興信所、1969年。
- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第2巻、歴代知事編纂会、1984年。
- 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。
|
---|
旧磐田市長 |
- 赤松照彦1948.4.1-1963.4.30
- 太田清司1963.5.1-1966.7.8
- 山内克巳1966.8.28-1986.8.27
- 神谷明1986.8.28-1994.8.27
- 山下重1994.8.28-1998.8.27
- 鈴木望1998.8.28-2005.3.31
|
---|
磐田市長 |
- 鈴木望2005.4.24-2009.4.23
- 渡部修2009.4.24-2021.4.23
- 草地博昭2021.4.24-
|
---|
カテゴリ |