福富 伴蔵(ふくとみ ともぞう、1899年(明治32年)2月15日 - 1973年(昭和48年)3月16日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。兵科は騎兵科。
経歴
1899年(明治32年)に栃木県で生まれた。陸軍士官学校第32期、陸軍大学校第41期卒業。1940年(昭和15年)3月9日に陸軍省兵務局馬政課長に就任し、10月10日に第1軍高級参謀に転じ日中戦争に出動。1941年(昭和16年)3月1日に陸軍大佐に進級し、8月5日に陸軍大学校教官、1942年(昭和17年)8月に第19師団参謀長(朝鮮軍)を経て、1944年(昭和19年)1月に第20軍高級参謀(関東軍・第1方面軍)に就任。
1945年(昭和20年)2月20日に第6方面軍参謀副長(支那派遣軍)に就任し、3月1日に陸軍少将に進級。4月23日に第11軍参謀長(支那派遣軍・第6方面軍)に転じ、終戦時は全県に位置した。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]。
脚注
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」13頁。
参考文献