石谷 甚三郎(いしたに じんさぶろう、1887年(明治20年)2月15日 - 1981年(昭和56年)9月17日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級。
経歴
1887年(明治20年)に三重県で生まれた。陸軍士官学校第22期卒業。1937年(昭和12年)10月13日に歩兵第33連隊補充隊長に就任し、11月1日に陸軍歩兵大佐に進級した。1938年(昭和13年)5月に歩兵第133連隊長(中支那派遣軍・第116師団)に就任し、日中戦争に出動、漢口攻略戦、大通南方地区作戦などに参加した。1940年(昭和15年)4月に京城陸軍兵事部長に転じ、1941年(昭和16年)3月に陸軍少将に進級した。
1942年(昭和17年)9月に第14独立守備隊長に就任し、1943年(昭和18年)8月2日に西部軍司令部附となり、8月31日に予備役に編入された。1944年(昭和19年)7月14日に召集され新潟連隊区司令官に就任し、1945年(昭和20年)3月31日に津連隊区司令官兼津地区司令官に就任した[3]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。
脚注
参考文献