真野 五郎(まの ごろう、1890年(明治23年)10月2日 - 1956年(昭和31)12月7日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級
経歴
1890年(明治23年)に兵庫県で生まれた。陸軍士官学校第24期、陸軍大学校第35期卒業。1936年(昭和11年)8月1日に陸軍歩兵大佐進級と同時に豊橋陸軍教導学校附となり、1937年(昭和12年)8月に第1軍兵站参謀長に就任し、日中戦争に出動。1938年(昭和13年)3月に歩兵第77連隊長(第1軍・第20師団・歩兵第39旅団)に転じた。
1939年(昭和14年)3月9日に陸軍少将に進級し、第36師団兵站司令官に着任。1940年(昭和15年)3月に留守第3師団司令部附となり、1941年(昭和16年)10月に独立混成第2旅団長(駐蒙軍)に就任し、張家口に駐屯した。1942年(昭和17年)11月18日に第65旅団長(第8方面軍・第18軍)に転じ、激戦のニューギニア戦線に出征し、12月1日に陸軍中将に進級した。1943年(昭和18年)6月14日には戦死した阿部平輔中将の後任として、第41師団長(第18軍)に親補され、苦戦を続ける中ニューギニアで終戦を迎えた。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]。
脚注
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」84頁。
参考文献