真田 昌親(さなだ まさちか)は、安土桃山時代の武将。真田昌幸の四男(末子)で、真田信之・信繁の弟にあたる[1]。通称は内匠(『寛政重修諸家譜』巻第654)。
昌幸の四男で末子。生母は某氏としかなく不明[2]。
信濃内村郷平井村(現在の上田市平井)に居住し、慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いのときには兄の信之に従い、東軍(徳川方)についた。寛永8年(1632年)に死去。享年49。子の信親は本藩から内分分知され旗本となり、2000石を知行した。