百十郎桜(ひゃくじゅうろうさくら)は、岐阜県各務原市を流れる新境川の両岸に設けられた桜並木である。
概要
1963年(昭和38年)に同市発足を記念して、植樹された[1]。その後1983年(昭和58年)に、同市出身で1931年(昭和6年)と1932年(昭和7年)に新境川沿いに"吉野桜(ソメイヨシノ)"を寄附した歌舞伎役者・市川百十郎の名を取って、「百十郎桜」と名付けられた。1990年(平成2年)に『日本さくら名所100選』に、2003年(平成16年)3月には『飛騨・美濃さくら三十三選』にも選ばれている。現在1,000本以上の桜が植えられており、花見の時期(桜まつり20万人の広場)には毎年約20万人が訪れる。
歴史
- 1963年(昭和38年) - 各務原市発足を記念して、植樹開始。
- 1983年(昭和58年) - 「百十郎桜」と命名される。
- 1990年(平成3年) - 『日本さくら名所100選』に選ばれる。
- 2003年(平成16年)3月 - 『飛騨・美濃さくら三十三選』に選ばれる。
市川百十郎による寄付
市川百十郎は1931年(昭和6年)、一時故郷である岐阜県稲葉郡大島村(現在の岐阜県各務原市蘇原大島町)に戻り、村歌舞伎の村国座で公演を行なっている。この時同じ年に完成した境川放水路(現在の新境川)の工事で多くの人が亡くなった事を聞き、その供養にと1931年に1,000本、1932年(昭和7年)に200本の"吉野桜"を寄附した。この吉野桜は新境川の堤防に植樹され、後に"桜の名所"として地元の人々に親しまれるようになった。
しかし太平洋戦争による物資不足のため薪や炭にする目的で、桜の木は次々と伐採されてしまう。さらに終戦後も物資不足は続き、伐採が止まらなかったため、最終的に残ったのは、境川分岐点北端の山崎橋から南300メートルほどの数十本程度であった。そこで、既存の桜の南端から那加町まで、戦後早々に新しく苗木が植えられた。しかし、これらの若い木は1960年代ごろまでは花をつけなかった。
今後の計画
各務原市は2008年度(平成20年度)からこの桜並木を更に延長させ、市内一円を大きな桜の輪で囲む、総延長31kmを誇る桜の回廊を2012年度(平成24年度)に完成させた。これにより総延長の日本最大の桜回廊都市となった(埼玉県さいたま市や青森県弘前市を日本一とする場合もある)。
関連書籍
- 『さいたさいた百十郎桜』赤座憲久・作、田中槙子・絵(新日本出版社、1994年(平成6年)7月)
- 『百十郎桜分布図』百十郎桜保全ボランティア / 編(百十郎桜保全ボランティア、2002年(平成14年))
脚注
- ^ 当時植えられたのはソメイヨシノである。
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