田中 源太郎(たなか げんたろう、1859年1月12日〈安政5年12月9日[1][2][3]〉- 1923年〈大正12年〉2月9日[1][2][3][4])は、日本の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。埼玉県多額納税者[5]。族籍は埼玉県平民[5]。
経歴
武蔵国葛飾郡樋籠村[1](のち埼玉県北葛飾郡幸松村、現:春日部市)で、葛飾郡随一の素封家・田中為次郎の長男として生まれる[1]。家業の酒造業を継承した[1]。
樋籠村戸長、八丁村連合戸長を歴任し、庄内古川改修などに尽力した[1][2]。1911年(明治44年)、立憲政友会所属で埼玉県会議員に当選した[2]。同年10月13日に就任した[3]。1915年(大正4年)、県会議員に再選された[2]。
1918年(大正7年)9月29日、貴族院多額納税者議員に任じられた[6]。1919年(大正8年)9月21日、県会議員を退任した[3]。1922年(大正11年)6月23日に貴族院議員を辞職した[1][4][7]。
家族・親族
- 田中家
- 父・為次郎(埼玉平民)県会議員[5]
- 長男・源太郎(1892年 - ?、前名・義一郎、埼玉県多額納税者、酒造業)[8]
- 長女・ふじ(山口士族・村田信乃の妻)[5]
- 親戚
脚注
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 埼玉県教育委員会編『埼玉人物事典』埼玉県、1998年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。