玉屋 (百貨店)
玉屋(たまや、英: Tamaya)は、佐賀県と長崎県にある百貨店の屋号。現在、2社の「玉屋」を冠する企業がある。
概要
- 二代目田中丸善蔵(幼名善吉)が創業、佐世保玉屋は同族により経営されている。
- 現在は福岡県からの百貨店事業の撤退で、西九州地域に密着した展開を行っている。
- 髙島屋主体のハイランドグループに加盟[1]。シンボルマークに同じ「バラ」の花を採用しており、紙袋とレジ袋、ギフトカードのデザインは昔から高島屋と全く同じものを使用しており、高島屋のロゴの部分が玉屋のロゴに変わっただけである(ただし、高島屋は2007年に紙袋とギフトカードのデザインを変更したため、現在は両デパートで共通して使用されているデザインのものはレジ袋のみである[要出典])。
店舗
- 長崎県佐世保市栄町2番1号[2]
- 1918年(大正7年)10月30日設立[2]
- 佐賀県佐賀市中の小路2番5号(本館、南館)[3]
- 1930年(昭和5年)12月3日設立[3]
- 1933年(昭和8年)12月1日に佐賀市呉服町に開店[4]
- 1965年(昭和40年)12月1日に佐賀市中央大通りの現在地に移転[5]。
関連会社
- 株式会社タマヤサンローズ(店名:タマヤサンローズ)
- 北九州市小倉北区浅野二丁目14番2号 リーガロイヤルホテル小倉1階
- 旧小倉玉屋従業員が中心となり設立、佐賀玉屋の北九州地区販売代行などを行っている。
- 玉屋のブランド名を借りて営業しているが、玉屋および田中丸一族との資本関係はなかった。新型コロナウイルスの影響による売上高減少などから2021年7月に破産申し立てを行い、店舗も閉店した。
かつて存在した玉屋の店舗
- ホワイトウェイ百貨店を松坂屋と共同経営する形で開店した[12]。
- 福岡マルタマストアー(福岡市上呉服町12-14[14])
- 福岡マルタマストアー長住店(福岡市長住5-15-10[15])
- 1976年(昭和51年)11月に寿屋が設立した「寿屋マルタマ」に継承してスーパーマーケット事業から撤退[16]。
- 売場面積10,482m2[17]。: 地下1階・地上7階建ての店舗で、1階売り場の約半分に「新大工町市場」が併設されていた[18]。
- 2022年11月19日、旧長崎玉屋跡地の再開発施設「新大工町ファンスクエア」2階に長崎玉屋として店舗出店。日本百貨店協会には未加盟。
- 売場面積1,785m2[20]。
- 売場面積1,277m2[21]。
- 売場面積964m2[20]。
- 売場面積1,035m2[20]。
歴史
※詳しくは、各店舗の項目を参照のこと。
脚注
- ^ 日本商業年鑑 1972年版, 商業界, (1972), pp. 112
- ^ a b c d e f g h i 流通会社年鑑 1990年版, 日本経済新聞社, (1990-11-24), pp. 31
- ^ a b c d 流通会社年鑑 1990年版, 日本経済新聞社, (2002-12-20), pp. 30-32
- ^ a b 松尾建設百年史, 松尾建設, (1986-02-10), pp. 260-262
- ^ a b 佐賀経済のあゆみ 佐賀商工会議所創立七十周年記念, 佐賀商工会議所, (1966-09-29), pp. 403
- ^ a b 流通会社年鑑 1990年版, 日本経済新聞社, (1990-11-24), pp. 28-29
- ^ a b c 『流通会社年鑑 1990年版』 日本経済新聞社、1990年11月24日。pp69
- ^ a b 咲山恭三 『博多中洲ものがたり 後編 大正改元より空襲・終戦までの変遷』 文献出版、1980年11月21日。pp148
- ^ a b 曽山茂志 “福岡からの報告 淘汰の時代へ・福岡流通事情”. ショッピングセンター 2000年2月号 (日本ショッピングセンター協会) (2000年2月1日).pp51
- ^ 『戦後佐世保経済の歩み』 佐世保商工会議所、1967年9月20日。pp41
- ^ 菅原普 (2016年2月1日). “伊万里玉屋が閉店 50年の歴史に幕 惜しむ客、県内外から”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 佐賀全県版
- ^ a b 咲山恭三 『博多中洲ものがたり 後編 大正改元より空襲・終戦までの変遷』 文献出版、1980年11月21日。pp462
- ^ 香港工商晚報, 香港工商晚報新聞社, (1966-10-13), pp. 3
- ^ 『九州電気年鑑 昭和44年版』 九州電気協会、1969年。pp208
- ^ 『九州電気年鑑 昭和44年版』 九州電気協会、1969年。pp213
- ^ 柳孝一 “進む流通業界の“第二次編成" 連邦経営の可能性を探る”. マネジメント 1977年2月号 (日本能率協会) (1977年2月).pp78
- ^ a b 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2009年版』 東洋経済新報社、2009年。pp1786
- ^ a b “創立30周年特別企画 会員百貨店のあゆみから(その11)九州(Ⅱ)”. 日本百貨店協会会報 1978年9月号 (日本百貨店協会) (1978年9月).pp44
- ^ 八尋紀子 “再開発、年内に計画書 「長崎玉屋」一帯の地権者 時代に合う施設、目標”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2014年6月25日) pp朝刊 長崎版
- ^ a b c d e f g h 『日本スーパーマーケット名鑑 1966年版』 商業界、1966年。pp280
- ^ a b c 『日本セルフ・サービス年鑑 1970年版』 日本セルフ・サービス協会、1970年3月20日。pp347
- ^ 『日本スーパーマーケット名鑑 1968年版』 商業界、1968年。pp400
- ^ 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp590
- ^ “マルタマ住吉店 54年の歴史に幕 8月末”. 長崎新聞 (2019年8月21日). 2023年5月16日閲覧。
- ^ 佐賀経済のあゆみ 佐賀商工会議所創立七十周年記念, 佐賀商工会議所, (1966-09-29), pp. 415
- ^ 川端基夫. “戦前・戦中期における百貨店の海外進出とその要因”. 龍谷大学経営学論集Vol.49 No.1 (龍谷大学) (2009-06): 1-22.
- ^ a b “来年閉店、伊万里玉屋惜別の「同窓会」”. 佐賀新聞. (2015年11月11日). http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10105/248617?area=ranking 2015年11月12日閲覧。
- ^ 週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2009年版, 東洋経済新報社, (2009), pp. 1786
関連項目
|
|