『無名草子』(むみょうぞうし)は、鎌倉時代初期の評論。女性の立場から述べる王朝物語で、日本の散文作品に対する文芸評論書としては最古のものである。
概要
書名『無名草子』は後代の命名で、原本の表題は不明。『無名物語』、『建久物語』などの異名がある。また、『八雲御抄』が言及する『尼の草子』や、伴直方『物藷書目備考』に見える『最勝光院通夜物語』も、本書を指している可能性がある。
作者は、通説では藤原俊成女(越部禅尼)とされ、1196年(建久7年)から1202年(建仁2年)頃の成立であると推定されている[※ 1]。作者に擬せられたことのある人物は、この他に、藤原俊成、式子内親王らがある。また、俊成女が後年出家して嵯峨に隠棲してからの作とする見方もある。
若くして皇嘉門院の母北政所に仕えた八十三歳の老尼と、東山の麓に住む若い女房たち[※ 2]。の対話形式をとり、「序」「物語批評」「歌集批評」「女性批評」の四部からなる。
無名草子は散逸物語の研究資料としてのみならず、中世初期における人々の中古文学享受史が窺える貴重な作品である。
伝本
注解刊行
その他、『日本思想大系 古代中世芸術論』・角川文庫にも注釈つきの本がある。
脚注
注釈
- ^ 本文中に「建久七年」の年号が見えること、藤原定家(1202年(建仁2年)中将昇進)が「少将」と表記されていること、『新古今和歌集』への言及がないこと等による。更に絞って、1200年(正治2年)から1201年(建仁元年)とする説もある。
- ^ この老尼を藤原俊成の長女であり後白河院の女房であった京極局、そのほかの女房達を俊成の娘達や孫娘である作者に比定する見方もある
- ^ 本文に最勝光院と記されている。建春門院(平滋子)の願により建立された。東山の麓、鴨川の東、八条の北に位置する[4]。ここを出て西に向かうとすぐ川に行き当たったはずだが、本文中では架空の田園風景と檜皮屋を配している。
- ^ 俊成の撰になる『千載和歌集』についても、歌そのものの質より作者に配慮し過ぎていると批判的に触れている。
出典
- ^ 杉山信三 「建春門院の最勝光院について-法住寺殿の御堂に関する研究 2-」 『日本建築学会研究報告』 1956年3月 日本建築学会
参考文献
関連項目