澤村義夫

澤村 義夫(さわむら よしお、1907年10月12日 - 1970年8月10日)は、日本の実業家関西テレビ放送元社長。

経歴・人物

京都府京都市出身[1]1929年慶應義塾大学文学部を卒業[1]大阪新聞社大阪時事新報社で編集局長を務め、1959年2月に産業経済新聞社副社長を経て、1958年2月に設立された関西テレビ放送の専務に就任し、社長の小林米三と共に経営の陣頭指揮を執った[2][1]1969年2月に小林米三の急逝により、社長に就任した[3][1]日本民間放送連盟副会長も務めた[1]日本万国博覧会の開催に尽力を尽すために、数多くの万博関連番組、関連事業を推進したが、1970年8月10日亜急性黄色肝萎縮のために堺市内の病院で死去[2][4]。62歳没。

脚注

  1. ^ a b c d e 興信データ株式會社 1969, さ221頁.
  2. ^ a b 関西テレビ放送 50年史 P43
  3. ^ 関西テレビ放送 50年史 P41
  4. ^ 1970年 8月10日 読売新聞 朝刊 p15

参考文献

  • 興信データ株式會社『人事興信録 第25版 上』興信データ、1969年。