源 直(みなもと の すなお)は、平安時代初期から前期にかけての公卿。嵯峨源氏、左大臣・源常の三男[1]。官位は従三位・参議。
経歴
文徳朝の仁寿4年(854年)従五位下に叙せられ、翌斉衡2年(855年)侍従に任ぜられる。その後、文徳朝末の天安元年(857年)10月に中務少輔に転じ、さらに天安2年(858年)5月に兵部少輔に遷った。
同年11月の清和天皇の即位に伴って従五位上に叙せられる。清和朝前半は引き続き兵部少輔を務める一方、貞観9年(867年)正五位下に叙せられている。その後、貞観10年(868年)右中弁、貞観12年(870年)左中弁、貞観15年(873年)蔵人頭、貞観16年(874年)右近衛権中将と清和朝半ばは文武の要職を歴任し、この間の貞観13年(871年)従四位下に昇叙された。貞観17年(875年)病気のために蔵人頭を辞任するが、引き続き光孝朝まで10年以上に亘って近衛中将を務め、この間の貞観18年(876年)従四位上、元慶元年(877年)正四位下と昇進している。
光孝朝の仁和2年(886年)参議に任ぜられ公卿に列す。光孝朝から宇多朝前半にかけて、議政官として左大弁を兼帯した。寛平4年(892年)兼官が左大弁から右衛門督に遷り、寛平8年(896年)従三位に至る。寛平9年(897年)右衛門督の兼官も解かれ、讃岐権守のみを兼ねた。
醍醐朝の昌泰2年(899年)12月26日出家するが、即日薨去[1]。享年71。最終官位は参議従三位行讃岐権守。
官歴
注記のないものは『日本三代実録』による。
系譜
『尊卑分脈』による。
脚注
参考文献