源 基綱(みなもと の もとつな)は、平安時代後期の公卿。宇多源氏、大納言・源経信の次男。官位は従二位・権中納言。
経歴
大舎人権助・式部少丞を経て、後冷泉朝末の治暦3年(1067年)従五位下に叙爵する。のち、治部少輔・少納言を務め、少納言の労により延久4年(1072年)従五位上、承保3年(1076年)正五位下に叙せられた。
白河朝の承暦元年(1077年)五位蔵人に補せられ、永保元年(1081年)右少弁を兼ねる。以降は、応徳元年(1084年)左少弁次いで右中弁、応徳2年(1085年)従四位下、寛治3年(1089年)正四位下・権左中弁、寛治8年(1094年)右大弁と、白河朝後半から白河院政期前半にかけて弁官を務めながら順調に昇進する。
永長2年(1097年)蔵人頭(頭弁)に補せられると、翌承徳2年(1098年)参議兼左大弁に任ぜられて公卿に列した。議政官として弁官のほか勘解由長官を兼帯し、この間の康和2年(1100年)従三位、康和6年(1104年)正三位に昇叙されている。
嘉承元年(1106年)権中納言に昇進し、20年以上に亘って務めた弁官を離れる。天仁2年(1109年)従二位に至る。永久4年(1116年)67歳にして大宰権帥に任ぜられ、大宰府に下向した。翌永久5年(1117年)12月30日に任地で薨去。享年68。最終官位は権中納言従二位兼大宰権帥。
官歴
『公卿補任』による。
系譜
- 父:源経信
- 母:源貞亮の娘
- 妻:摂津守章行の娘
- 生母不明の子女
脚注
参考文献
- 『公卿補任 第一篇』吉川弘文館、1982年
- 『尊卑分脈 第三篇』吉川弘文館、1987年