清水谷 恭順(しみずだに きょうじゅん、1891年3月14日 - 1979年8月8日)は、天台宗の僧、仏教学者、浅草寺貫首。
群馬県出身。1915年天台宗大学卒、1919年天台宗大学教授となり、1926年の大正大学創設に伴い教授に就任、1945年退任。浅草寺では執事長となり、1952年浅草寺住職、聖観音宗管長。
松下電器産業(現パナソニック)創業者の松下幸之助とは神経痛の平癒を祈願したことで縁があり、1958年、浅草寺で幕末に焼失した雷門再建への協力を依頼。松下は寄進に応じて翌年工事が始まり、1960年5月3日に開通した[1][2]。
1960年「台密の成立に関する研究」で大正大学文学博士。密教事相の研究者で組織的台密史を樹立。昭和の初め「観音経講話」のラジオ放送を行い、仏教の大衆化に貢献した。
1974年4月2日に「日本を守る会」が設立されると、代表委員に就任した[3]。
1976年に仏教伝道功労賞(第10回)を受賞[4]。養子に清水谷孝尚。
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