清原 枝賢(きよはら の えだかた/しげかた)は、戦国時代から安土桃山時代の儒者。明経博士。初名は頼賢、法名は道白。
経歴
清原業賢の子[3]。清原国賢、清原マリアの父。清原宣賢の孫にあたる[3]。
天正13年(1585年)には関白宣下を受けた豊臣秀吉のために、朝廷官職制度の難解な解説書「職原抄」をより平易にした「百官和秘抄[4]」を著す[5]。
官職・位階
『公卿補任』による。
系譜
続群書類従「清原系図」による。
脚注
注釈
- ^ a b 細川幽斎の義母で、細川氏の後家が枝賢に再嫁したとされる。
- ^ 東福門院(1607 - 1678)とは年代が離れているが、出典のまま記す。
- ^ 佐々木越中守は高島氏一族のうち、嫡流で室町幕府外様衆である家系の名乗りである[8]。近江国清水山城主。
出典
参考文献
- 塙保己一 , ed (1985). 群書系図部集 6. 太田藤四郎. 続群書類従完成会. p. 427-428, 435-436
外部リンク