浪岡 具永(なみおか ともなが)は、戦国時代の武将。陸奥国の名族浪岡氏の第7代当主。
生涯
浪岡城を本拠とした。鎮守大将軍北畠顕家の末裔であるといい、将軍を御所と敬称する当時の慣習から、陸奥国一帯で「浪岡御所」と呼ばれた。内政手腕に優れ、朝廷と交渉するために上洛し、任官を受けたという。天文9年(1540年)に朝家から具永に改名しているが、これは伊勢北畠氏からの偏諱であるとされる。
没年について
浪岡氏に関する没年に関する情報が安永4年(1775年)に作成された京徳寺過去帳の他に見られないため、史料性には疑問を持たれつつも通説として、具永の死没年は天文24年5月24日(1555年6月13日)とされてきた。
一方で、外浜油川村(現在の青森県青森市油川)の熊野山十二所権現社の棟札銘には、永禄2年(1559年)に具永が同社を再興したとされている。さらに、2011年(平成23年)『補略』と総称される公家名簿の史料群が学会に相次いで紹介され、その中では永禄6年(1563年)時点で具永は存命と認識されている。これらに基づき、具永の没年については、再検討の必要性も指摘されている(赤坂恒明)。
官歴
注記のないものは『歴名土代』による。
系譜
脚注
参考文献