池田 水藻(いけだ みずも、1886年(明治19年)10月1日 - 1967年(昭和46年)12月27日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
鹿児島県川辺郡平山村(川辺村平山、川辺町平山を経て、現在の南九州市川辺町平山)出身[3]。陸軍士官学校第19期、陸軍大学校第30期卒業。1923年(大正12年)8月、陸軍歩兵少佐に進級し[4]、同年9月時点で歩兵第30連隊大隊長の任にあった[4]。1925年(大正14年)12月に第14師団参謀に転じ[5]、1928年(昭和3年)3月8日に歩兵第63連隊附となり[6]、松江高等学校に配属された[6]。同年3月24日には陸軍歩兵中佐に進級し[6]、1931年(昭和6年)3月には学校配属を解かれ、歩兵第63連隊附となり[7]、1932年(昭和7年)5月に高崎連隊区司令官に着任し、6月には陸軍歩兵大佐に進級した。
1935年(昭和10年)3月に第6師団司令部附となり、熊本医科大学に配属された。1937年(昭和12年)3月1日、陸軍少将進級と同時に待命となり、3月29日に予備役に編入された。晩年は神奈川県横須賀市に居住し、心臓疾患の療養中だったが、1967年(昭和46年)12月27日に心筋梗塞で死去した[8]。
栄典
- 勲章等
脚注
参考文献