池 炳学(チ・ビョンハク、지병학、池炳學)は、朝鮮民主主義人民共和国の軍人。満州派。
経歴
東北抗日連軍に参加。日満軍警の討伐によりソ連領内に逃れるが、しばらくはソ連軍偵察要員として朝鮮国内に潜入していた[1]。第88特別旅団に編入。
終戦後は中国東北部に派遣され、国共内戦に参加。琿春警備大隊副司令(1945年12月)、琿春県警備隊大隊長、吉東保安隊第5団団長、吉林軍区吉東軍分区独立第3団副団長[3]、第156師第466団副団長[4]、独立第15師参謀長を歴任[5]。
1950年、独立第15師は北朝鮮に入国し、人民軍第7師団(第12師団に改称)に改編され、同師団参謀長に就任。
1951年、第3軍団(軍団長:柳京洙)第45師団長[6]。
1957年9月、第2軍団長。
1961年9月、労働党中央委員会委員(第4回党大会)。
1962年10月、最高人民会議第3期代議員当選、金日成軍事総合大学総長。
1970年11月、労働党中央委員会委員(第5回党大会)。
1973年、人民武力部副部長。
1976年、金正日を批判していた金東奎を消極的ながらも支持していたため、国家保衛部に連行され、翌年に病死した[9]。
出典
参考