水野 忠鼎(みずの ただかね)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。肥前国唐津藩2代藩主。忠元系水野家9代。水野忠邦の祖父である。
略歴
延享元年(1744年)、安芸国広島藩6代藩主・浅野宗恒の次男として誕生する。明和4年(1767年)9月18日、唐津藩初代藩主・水野忠任の養子となる。同年11月1日、10代将軍・徳川家治に拝謁する。同年12月16日、従五位下・左近将監に任官する。安永4年(1775年)9月23日、忠任の隠居により、家督を継いだ。
安永8年(1779年)8月12日、幕府の奏者番に就任した。藩政においては二本松義廉を登用して財政改革を行なったが、天明の大飢饉に見舞われて失敗に終わった。享和元年(1801年)に藩校・経誼館を設置している。
文化2年(1805年)9月5日、長男の忠光に家督を譲って隠居し、文政元年(1818年)に死去した。享年75。
系譜
父母
正室
子女
脚注
水野氏 唐津藩2代藩主 (1775年 - 1805年) |
---|
寺沢家 | |
---|
大久保家 | |
---|
大給松平家 | |
---|
土井家 | |
---|
水野家 | |
---|
小笠原家 | |
---|