水野 忠次(みずの ただつぐ)は、江戸時代前期の三河国刈谷藩の世嗣。官位は従五位下・和泉守。
刈谷藩主でのち信濃国松本藩初代藩主となる水野忠清の長男。母は前田利家の養女・福寿院(小林氏娘)。
水野忠清の嫡男として生まれ、元和4年(1618年)に徳川秀忠に拝謁し叙任する。しかし家督を相続することなく、寛永5年(1628年)に25歳で早世した。法名は上譽緑月増秋院。
代わって、弟・忠職が嫡子となった。