毘式四十粍機銃(ビしきよんじゅうミリきじゅう)は、大日本帝国海軍の装備した機関砲である。海軍の装備した機関砲で最大かつ最重量だった[3]。
“毘式”とはヴィッカース・アームストロング社のビ(ヴィ)を表している。
水冷・ベルトリンク給弾式[1]の機関砲で、自動式の信管調定器を備え、望遠計算式の照準器を有する[1]。1925年にイギリスのヴィッカース QF 2ポンド砲Mk.II(いわゆるポンポン砲)を導入したものである。当初はイギリスより輸入したが、後に機銃・銃架ともに呉海軍工廠および舞鶴海軍工作部[4]にてライセンス生産化された。
機銃本体に一型・一型改一・二型・二型改一・三型の各種があり、銃架は単装の単装一型・二型・三型と2連装の連装一型・一型改一型・二型があった。単装銃架は主に艦艇の対空砲として、連装銃架は浮上中の潜水艦の船殻に穴を開けて潜航不能にするため[3]、駆逐艇や敷設艇の艦首備砲として、1932年(昭和7年)から1940年(昭和15年)に竣工した艦艇に装備された。
大口径砲としての威力が期待された[2]が、オリジナルと同様、給弾機構や機関部の設計に無理があり、機械的なトラブルが多発するために信頼性が低く、対空兵器としては発射速度が低い上に弾道特性も悪く、実用射程が短いため、有効性は高いものではなかった。1935年以降、十三粍機銃や九六式二十五粍高角機銃といった新型の国産艦載対空機銃が開発・配備されるとそれらに置き換えられ、太平洋戦争時には主に小型艦艇の艦載砲、及び地上設置型の対空砲や対戦車砲[1]として用いられた。
1942年(昭和17年)10月25日、ガダルカナル島において軽巡洋艦「由良」及び駆逐艦「秋月」と共に米軍急降下爆撃機SBDドーントレスと交戦した第二駆逐隊(白露型駆逐艦4隻)は、対空戦闘で40mm機銃を「村雨」288発、「五月雨」200発、「夕立」310発、「春雨」350発を発射しているが[5]、「対空兵器としての価値は極めて少ない」と評価している[6]。
地上に設置されたものは、数門が連合軍に鹵獲された[1]。
この他、単装、連装共に陸上基地の固定式対空砲座用としても使用された。
タイ王国サムットプラカーン県にある海軍歴史公園には、毘式四十粍機銃の単装銃架型及び連装銃架型が展示されている[4]。
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