武蔵寺(ぶぞうじ)は、福岡県筑紫野市武蔵、菅原道真公ゆかりの天拝山の登山口にある、天台宗の寺院。山号は椿花山(ちんかざん)。
概要
創建年については、飛鳥時代とも奈良時代ともいわれ定かではないが、境内から発見された瓦や経塚から11世紀頃までには寺が建立されていたことは確認されており、九州最古の仏蹟である。天智天皇の3年、釈祚蓮勅命により西海(九州)に一宇を建立しようと筑紫に下った天皇に協力して、土地の豪族で藤原鎌足の子孫、藤原虎麿(虎丸・虎麻呂・登羅麻呂)が七堂伽藍を建立、椿の木で薬師如来像を刻んで安置したのが始まりという[1]。なお、虎麿は初代の大宰帥蘇我日向臣無邪(耶)志(だざいのそち・そがのひむかのおみ・むさし)と同一人物ではないかともいわれている。寺名については、武蔵国池上より日蓮宗の僧が来て、武蔵寺となったという[2]。686年(朱鳥1年)藤原虎麿が亡くなった後、その命日に「地蔵会」が行われ、現在も続いているという。
伝説など
- 虎麿が山中で怪火を射落としたが、夢の中でそれは薬師如来が宿る霊木の精であり、その霊木で薬師十二神将像を作り、堂を建てて祀るようお告げあった。これが武蔵寺の建立の由緒と伝えられている。
- 虎麿は30歳を過ぎても子供がいないことが悩みであった。虎麿は薬師堂にこもり薬師三尊に祈り縋ったところ、その加護をえて女児を授かることができたという。
- ところが疫病が流行り、多くの人々も亡くなった。虎麿の子もこの流行病に罹り、治す手立てがなかった。虎麿はさらに薬師如来に祈願し続けたところ、ある夜、夢の中に一人の僧侶が現れて「ここから東方に葦の生えている湿地があり、そこに温泉がある。ここで入浴させれば、必ず病は治るであろう」と告げ、姿を消した。早速虎麿はその場所に行き茂った葦を刈り、こんこんと湧き出る温泉を見つけた。その温泉に子供を入浴させると、たちまち病気が治ってしまった。これが二日市温泉(薬師温泉・旧武蔵温泉)の始まりと言われている。(瑠璃子姫伝説)
境内
境内には藤の木があり、樹齢700年余といわれている。藤原氏に準えて植えたと伝えられている。また、境内には、観音堂、地蔵堂、大黒堂、伝教大師等の諸堂、石仏、五輪の塔、般若心経一時一石、観音経の経塔、板碑、大楠、心字池、茶室、鐘桜、芭蕉の句碑などもある。
文化財
行事
交通アクセス
関連史跡
周辺情報
参考文献
脚注
- ^ 郷土資料事典・福岡県、人文社 49p
- ^ 筑前国続風土記
外部リンク