植田 謙輔(うえだ けんすけ、1860年9月13日(万延元年7月28日)[1] - 1927年(昭和2年)2月3日)は、日本の篤農家[2]、政治家(山口県豊浦郡彦島村長)[3]、実業家。彦島電気取締役[4]。族籍は山口県平民[4]。大彦島建設第一の功労者であった[3]。
人物
長門国彦島(現・山口県下関市)出身。植田藤左衛門の長男[3]。第2代村長田代寅次郎に用いられて1890年、助役に就職し、1891年、第3代村長の要職に就いた[1]。一意村治のために村長として約30年の永きにわたり心血を注いだ[3]。
郡の町村長会副会長となり、種々な公的名誉職に関与した[3]。自治功労者として表彰された[3]。『彦島大観』で「彦島の元勲として崇敬すべき歴史的人物である。」と紹介されている[3]。住所は山口県豊浦郡彦島村[4]。
家族・親族
- 植田家
脚注
参考文献
- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 加瀬谷弥一『彦島大観』関門報知新聞社、1926年。
- 彦島町教育会編『栄える彦島 郷土読本』山口県彦島町教育会、1933年。
- 山口県史編纂所編『山口県史 下巻』山口県史編纂所、1934年。