森田 耕一郎(もりた こういちろう、1984年10月28日 - )は、東京都東大和市出身の元プロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。
来歴
小学生時にサッカーを始め、2000年に国分寺高校に進学。3年時の2002年にはU-19日本代表候補に選出された[3]。
2003年にJリーグ・ベガルタ仙台に加入[4]。高桑大二朗、小針清允といったGK陣の中で経験を積み、2005年にはリーグ戦のベンチメンバーに入ることもあったが[5]、公式戦の出場機会は得られなかった[2]。
2005年8月、FC東京に期限付き移籍[2][6]。GKに負傷離脱が続き[7][8]手薄となっていた中での加入だったが、公式戦に帯同する2名(土肥洋一及び遠藤大志)は健在だったため、第3GKからのスタートとなった。しかし、森田自身も練習中に左手舟状骨を骨折し[9]、離脱。同年末に移籍期間を満了し、同時に仙台との契約も打ち切られ[10]退団した。
2006年に、地元東京のJFLクラブ・佐川急便東京SCに移籍[11]。シーズン途中に出場機会を掴むとレギュラーに定着し、攻撃的なスタイルのチームにおいて飛び出しの鋭さと広いプレーエリアで後方を固め、チームの2位躍進を支えた。
2007年、佐川東京SCが佐川急便大阪SCと合併して新たに発足した佐川急便SC(後のSAGAWA SHIGA FC)に加入。元佐川大阪のGK真子秀徳とのポジション争いを制し、積極的なプレーでチームのJFL初優勝に貢献。JFLベストイレブンにも選出された[12]。2008年はチームが下位に低迷する中でやや出場機会を減らしたが、2009年にはチームも復調し、自身初の全試合出場とともにシーズンを優勝で飾った。中でも8月2日に行われた鳥取との上位対決では、1点リードの状況で試合終了直前の相手PKを止めるなど[13]、勝負強さも発揮した。2010年は31試合に出場、調子の波があったチームの中で安定したプレーを見せた。2011年は、村山智彦とのポジション争いによりシーズン中盤からは控えに回り、出場機会を減らした。2012年のシーズン中盤から再びレギュラーに定着。同年の天皇杯の2回戦ではヴィッセル神戸に対して好セーブを連発し、勝利に貢献した[14]。この年限りでSAGAWA SHIGA FCが活動停止となり、退団を余儀なくされた。
2013年、JFLのS.C.相模原へ移籍[15]。3月と遅い時期の加入となったが、5月に出場機会を得るとレギュラーに定着し、23試合に出場した。
2014年、対戦相手として森田を高く評価していた北野誠から招かれる形で[16] J2・カマタマーレ讃岐に完全移籍[17][18]。同年J2第3節大分戦でプロ入り後12年目にしてJリーグ初出場を果たすも[16]、通年での出場機会を確保することは叶わず、1年限りで契約満了により退団[19]。
Jリーグ合同トライアウトを経て2015年はJ3・レノファ山口FCへ移籍[20][21]したが、一森純からポジションを奪うことが出来ず、天皇杯1試合の出場にとどまり、11月26日に契約満了による退団が発表された[22][23]。同シーズンを最後に引退。
2016年より國學院大學に入学している[24]。
所属クラブ
個人成績
タイトル
- チーム
- 個人
脚注
- 注釈
- ^ a b 2008年に佐川急便SCからSAGAWA SHIGA FCへ改称。
- 出典
関連項目
外部リンク