森田 宣(もりた のぼる、1880年(明治13年)7月15日 - 1961年(昭和36年)7月1日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
山口県出身。1902年(明治35年)陸軍士官学校第14期卒業。翌年6月、陸軍砲兵少尉に任官する。1911年(明治44年)陸軍大学校第23期卒業。
駐米武官を経て、1924年(大正13年)12月に陸軍砲兵大佐に進み、野砲兵第6連隊長、参謀本部戦史課長を歴任し、1930年(昭和5年)8月、陸軍少将に進級する。ついで国連陸軍代表やジュネーブ海軍軍縮会議随員を務めたのち、1933年(昭和8年)12月、兵器本廠附となり、翌年の1934年(昭和9年)8月、陸軍中将に進み、同年12月からは由良要塞司令官を務めた。1936年(昭和11年)3月7日に待命、同月17日には予備役編入となり、1937年(昭和12年)7月、召集を受け留守第10師団長となり、翌年の1938年(昭和13年)7月に召集解除となった。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[6]。
栄典
脚注
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」84頁。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献