梶島
概要本土である西尾市の蛭子崎より南東へ約1.3km沖合に浮かぶ[1]。島東部に弁財天が祀られていることから、別名として弁天島とも称される[1]。無人島ではあるが、かつては島内でも畑耕作が行われていたとみられる[1]。島自体は花崗岩でできており、小松が自生している[1]。1973年(昭和48年)に民間の観光開発業者である梶島観光開発株式会社が購入し、観光施設の建設が計画された[2]。また、名古屋鉄道による海上観光船も運航されていた[2]。しかし、梶島観光開発による計画は頓挫し、1984年(昭和59年)、当時の幡豆郡吉良町が買い戻したため、町有地に戻った[3]。対岸の西三河漁業協同組合吉良支所(旧吉良魚漁協同組合)により宮崎漁港から渡船が行われており、シーズン中には、潮干狩りを行うことができる[1]。それ以外の時期には定期便は運行されていないが、釣り客や海水浴客などが釣り船で渡るという[3]。 地名の由来伝説によると、永禄3年(1560年)3月、巡視に訪れた今川義元を織田信長が襲ったものの、急な雨により梶を取り直して、引き返すはめになったことに由来するという[4]。 脚注参考文献
外部リンク
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