柴田 芳三(しばた よしぞう、1898年(明治31年)5月3日 - 1965年(昭和40年)9月14日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
1898年(明治31年)に三重県で生まれた。陸軍士官学校第32期、陸軍大学校第43期卒業。1939年(昭和14年)9月に支那派遣軍参謀に就任し、日中戦争に出動。1940年(昭和15年)5月15日に参謀本部庶務課長に就任し、8月1日に陸軍歩兵大佐に進級した。1942年(昭和17年)3月に歩兵第68連隊長(第11軍・第3師団・歩兵第5旅団)に転じ、中国戦線に復帰。
1943年(昭和18年)3月に参謀本部教育課長となり、内地に帰還。1944年(昭和19年)3月1日に参謀本部総務課長に転じ、8月1日に陸軍少将に進級した。1945年(昭和20年)7月5日に第13方面軍参謀長兼東海軍管区参謀長に就任し[3]、名古屋で本土決戦に備える中で終戦を迎えた。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。
脚注
参考文献