板額御前

 
板額御前
『芳年武者无類 阪額女』月岡芳年作, 1885年(明治18年)
時代 平安時代末期 - 鎌倉時代前期
生誕 不明
死没 不明
別名 坂額、飯角
氏族 桓武平氏維茂流城氏
父母 父:城資国(助国)
兄弟 資永(助長)長茂(助茂)板額御前
知義
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板額御前(はんがく ごぜん、生没年不詳)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将。名は『吾妻鏡[注釈 1]では「坂額」とされているが、後の古浄瑠璃などの文学作品では「板額」と表記されている[2]。ほかに飯角とも。城資国の娘。兄弟に城資永城長茂らがいる。日本史における数少ない女武将の一人で、古くから巴御前とともに女傑の代名詞として「巴板額」(ともえ はんがく)と知られてきた。

生涯

城氏越後国の有力な平家方の豪族であったが、治承・寿永の乱を経て没落、一族は潜伏を余儀なくされる。『吾妻鏡』の建仁元年(1201年)には、越後国において板額の甥に当たる城資盛(資永の子)の挙兵が見える(建仁の乱)。これは板額の兄の長茂(資茂とも)の鎌倉幕府打倒計画に呼応したものであり、長茂自身は程なく京において討ち取られるが、資盛は要害の鳥坂城に拠って佐々木盛綱らの討伐軍を散々にてこずらせた。

板額は、反乱軍の一方の将として奮戦した[3]。『吾妻鏡』では「女性の身たりと雖も、百発百中の芸殆ど父兄に越ゆるなり。人挙て奇特を謂う。この合戦の日殊に兵略を施す。童形の如く上髪せしめ腹巻を着し矢倉の上に居て、襲い到るの輩を射る。中たるの者死なずと云うこと莫し」と書かれている。

しかし最終的には藤沢清親の放った矢が両脚に当たり捕虜となり、それとともに反乱軍は崩壊する。板額は鎌倉に送られ、2代将軍源頼家の面前に引き据えられるが、その際全く臆した様子がなく、幕府の宿将達を驚愕せしめた。この態度に深く感銘を受けた甲斐源氏の一族で山梨県中央市浅利を本拠とした浅利義遠(義成)は、頼家に申請して彼女を妻として貰い受けることを許諾された。その後、一男一女をもうけたという。

板額は義遠の妻として甲斐国に移り住み、同地において生涯を過ごしたと伝えられている。義遠が本拠とした山梨県中央市浅利に近い笛吹市境川町小黒坂には板額御前の墓所と伝わる板額塚がある[4]

容姿に関して『吾妻鏡』では「但し顔色に於いては、ほとほと陵園の妾[注釈 2]に配すべし(但於顏色殆可配陵薗妾[注釈 3])」「件の女の面貌宜しきに似たりと雖(いえど)も心の武(たけ)きを思えば」、すなわち美人の範疇に入ると表現されているが、『大日本史』など後世に描かれた書物では不美人扱いしているものもある。これは、美貌と武勇豪腕(弓)とのアンバランスを表現したものが誤解されたためと解釈される。

生誕地とされる熊野若宮神社(新潟県胎内市飯角)には、2001年(平成13年)板額御前奮戦800年祭(鳥坂城奮戦800年を記念)が開かれた際、旧中条町によって石碑が建てられている[6]

一説に身長6尺2寸(約188cm)といわれる[注釈 4]

続柄

板額が歴史書に登場するのは『吾妻鑑』の記事(建仁元年5月、6月部分)のみで、城資盛の叔母と書かれている[7][8]。弓を引き続ける体力があり、子を産める年齢だとすれば、資盛と年の近い若い叔母であったと思われ、兄とされる城資永城長茂兄弟の実の妹とは年齢的に考えにくく、資永の最後の妻の妹ではないかとする説もある[7]

後世

のちに浄瑠璃歌舞伎上の人物となった。また、江戸時代以降、醜女の蔑称ともなった[3]。これは原文で「容姿は美人ゆえに後宮で妬まれ、陵園(皇帝の陵墓)に送られて一生を過ごした女性に匹敵する」と述べている個所を、江戸時代に出版された伏見版寛永版の付訓で、『但し顔色に於いては殆ど陵園の妾より醜かる可しと』と読み下したことで、「陵園の妾より醜い」という誤った解釈が広まったからである[9]

画像集

脚注

注釈

  1. ^ 2003年時点で現存する、当該人物が登場するおそらく唯一の一次資料[1]
  2. ^ 古代中国において懲罰のため監禁され帝の墓陵に奉仕する官女。白居易の漢詩を下地とした表現で(囚われの身の/哀れな)美女が就くの意とされる。
  3. ^ 『吾妻鏡』寛永本では「配」が「醜」に誤写され、「但於顏色殆可醜陵薗妾」となっている[5]
  4. ^ ただし『吾妻鏡』などにはそのような記述は無い。おそらく後年の創作物などで、兄の城長茂が長身であった為にその対比として描かれたものだと思われる。

出典

  1. ^ 高橋永行 2003, p. 84.
  2. ^ 高橋永行 2003, p. 83.
  3. ^ a b 高橋永行 2003, p. 81.
  4. ^ 『山梨県の地名』、p.474
  5. ^ 高橋永行 2003, p. 85.
  6. ^ 愛される女武将・板額御前 新潟日報社(おとなプラス)2022-08-18 宮沢麻子
  7. ^ a b 板額問答集 弓の名手の女武将 板額御前、 新潟県胎内市教育委員会 2023年3月
  8. ^ 吾妻鏡標註 : 訳文 第2冊 堀田璋左右 東洋堂 昭和18-20
  9. ^ 『異性装 歴史の中の性の超越者たち』、2023年2月12日発行、中根千絵、本橋裕美、東望歩、江口啓子、森田貴之、日置貴之、阪本久美子、伊藤慎吾、集英社インターナショナル、P138

参考文献

  • 白井喬二, 高柳光寿『日本逸話大事典 第6巻』人物往来社、1967年。全国書誌番号:67002396 
  • 角田文衛『平家後抄』朝日新聞社1981年
  • 斎藤七郎『板額御前 : 越後平氏の興亡 鳥坂城は何処か』北日本美術、1983年11月。全国書誌番号:85059816 
  • 葭沢一富,松元保郎『板額御前物語 : 平家の姫と境川』境川村、2003年3月。全国書誌番号:20427811 
  • 高橋永行「国語辞書における「板額」の語釈に対する疑義」『山形県立米沢女子短期大学紀要』第39号、山形県立米沢女子短期大学、81-91頁、2003年12月。CRID 1050282677904168448ISSN 02880725https://yone.repo.nii.ac.jp/records/71 
  • 板額会事務局『板額御前物語』胎内市、2012年。 
  • 板額会事務局『板額御前物語 第2版』胎内市、2015年。 
  • 宮沢麻子 (2022年8月18日). “愛される女武将・板額御前”. 新潟日報社(おとなプラス): pp. 1-3 

関連作品

小説
  • 島政大『女武将 板額』アメージング出版、2020年。ISBN 4434274694

関連項目

外部リンク