松村 昶子(まつむら しょうこ、1920年(大正9年)7月10日[1] - 1945年(昭和20年)[1][2])は、昭和時代の競泳選手。
山口県吉敷郡大歳村矢原高畑(現山口市矢原町高畑)の医師松村章の二女として生まれる[2]。1927年(昭和2年)大歳小学校に入学し、椹野川の八光面(石津橋の下)で泳ぎを覚えた[2]。
山口高等女学校在学中[3][4]、100m自由形で[2]1936年ベルリンオリンピック競泳日本代表に選出されたが、本大会では出場しなかった[5]。