松平 忠栄(まつだいら ただひで)は、江戸時代前期の丹波国亀山藩の世嗣。官位は従五位下・図書頭。
播磨国明石藩主・松平忠国の五男として誕生した。
従兄弟の忠俊が早世したため、万治2年(1659年)に叔父の亀山藩主・松平忠晴の養子となり徳川家綱に初御目見するが、寛文6年(1666年)に廃嫡された。
代わって、忠晴の次男・忠昭が嫡子となり、のち家督を継いだ。