医者を目指し予備校に通うために沖縄から上京。突然湧いて来るメロディに目覚め、アーティストを夢見ながらアルバイトとバンド活動を両立し様々なオーディションを受ける。1997年からギターの弾き語りでライブ活動をすると共にボイストレーナーとしても活動。2000年からは沖縄の固有の楽器・三線を取り入れたバンド「有限会社」を結成し沖縄居酒屋を中心にライブを行う。2004年、日本クラウンより、男女ユニット「東風(こち)」と名前を改めメジャー・デビュー[2]。日本全国を廻りながら、沖縄居酒屋500本ライブを行ったり、和田アキ子とのデュエットソング「Mother's Kiss feat.東風 幸せのちから」への参加と楽曲提供、学校校歌の制作など、東風としての5年間で様々な事に精力的に取り組む。東風名義ではシングルCD1枚、アルバム4枚、DVD3枚をリリースした。2009年、東風としての活動終了後、東風平高根としてソロ活動を始め、三線一本を持って全国42カ所の都道府県を歌い歩く。2011年には札幌、東京、大阪、福岡、沖縄でのワンマンライブを敢行し、各会場ほぼ満員の盛況で成功を収める。2012年には初の海外公演・アメリカ西海岸ツアー(ラスベガス~ロサンゼルス)を行い(後述「Road to the BDK」を参照)大成功となった。2009年のソロ活動から2012年まではシングル1枚とアルバム3枚をリリースしている[3]。
日本武道館でのワンマンライブに目標を据え、実現に向けて活動を始める。2011年、「5年後には日本武道館でワンマンライブをやります!」と東風平が突然宣言したことから始まった。翌年には全国のファンを中心とした強力なサポートグループ「東風平高根円陣会」が結成され、2016年の日本武道館公演を実現するために活動を開始した。日本武道館を目指す活動は通常行っているライブとは一線を画し「Road to the BDK」(BDK=武道館の略)として行われ、「ミッション~」が付けられている(以下、詳細後述)[6]。
会場は満席、2階席は立見も出るほどで、日本全国からファンが集結。物販ブースでは最新CD「DREAM OF ISLAND」の先行販売が行われたほか、限定100着の「ラグラン赤Tシャツ」が用意された。ステージではこれまでのライブとは違う構成が取り入れられ、オープニングムービーからライブがスタート。「DREAM OF ISLAND」収録曲がセットリストにラインナップしたほか、これまでのライブで名物だった「イーヤーサーサー」「ハーイーヤ」の掛け合いはあったもののカチャーシーを踊るタイミングはなく、代わりに新曲「O-kina-wa-Dance」のダンスで客席とのコール&レスポンスが行われ既存の曲も新たにアレンジが変更された。フラのダンサーも4人に増えるなど、これまでにも増してエンタテインメント性を向上させた。
募集はfacebook[10]とライブ会場などで行われていて、誰でも参加OK。唯一の会員規定は「円陣会Tシャツ(3,000円)を購入し、ライブ時には着用すること」となっている。第1回の円陣会は2012年7月23日に有楽町の某居酒屋で24人が集まり、首都圏をはじめ北海道からも参加があった。会の名前の由来でもある円陣を組んだ記念写真はこの時が最初で、以後東風平高根円陣会の集まりでは恒例となっている。東風平の人柄に惚れ込んだ人、泣いて笑って元気になれるライブが好きで都合を付けて毎回足を運ぶ人、楽曲に魅せられた人、首都圏以外ではキャンペーンやツアーでご当地にやってきた時に必ず参加する人、仕事の都合や休みを合わせて国内はもとよりアメリカまでサポートとして同行する人など活動と関わりは人様々。2014年11月現在、首都圏の関東支部をはじめ、北海道(札幌)支部、逗子(湘南)支部、群馬支部、大阪支部、北陸支部、福岡支部、糸島(福岡)支部、那覇支部、アメリカ西海岸支部が結成されている。「Road to the BDK ミッション2 Mt.RAINIER HALL 渋谷~高根、渋谷で歌うってよ~」[9]では会場の受付やCD販売、観客の案内などを行った。
東風平高根のグッズの中で人気が高いのは公式Tシャツ。「ラグランTシャツ」「PEACE黄色Tシャツ」「Lakane(ハワイの言葉で太陽男の意)Tシャツ」「円陣会Tシャツ」「マラソン部赤Tシャツ」「マラソン部赤Tシャツ応援用」など様々なバリエーションがあり、ライブ参加時の連帯感と高揚のために着用率は高い。2013年に販売された「円陣会Tシャツ」は初期ロット300着、「Road to the BDK mission4 世界にHAISAI! From JAPAN」(赤坂BLITZ)の会場では限定100着の「ラグラン赤Tシャツ」が販売された[10]。