東阿倉川イヌナシ自生地。2023年5月10日撮影。
東阿倉川イヌナシ自生地 (ひがしあくらがわイヌナシじせいち)は、三重県 四日市市 東阿倉川にある国の天然記念物 に指定されたイヌナシ (マメナシ)の自生地である[ 1] 。
イヌナシ (犬梨)の名称は主に三重県内で使用される呼称であり、一般的にはマメナシ (豆梨、学名:Pyrus calleryana Decne. )と呼ばれる。マメナシはバラ科 ナシ亜科 ナシ属 の落葉 高木 の1種 で、世界での分布域はベトナム 北部、中国 、朝鮮半島 、日本 であるが、日本国内での自生 は、三重県・愛知県 ・岐阜県 の、いわゆる東海3県 にほぼ限定される[ † 1] 。(以下、本記事ではイヌナシと表記する。)
本記事で解説するイヌナシ自生地は、1902年 (明治 35年)に地元の小学校 教諭 3名によって発見採集された後、1908年 (明治41年)4月に著名な植物分類学者 として知られる牧野富太郎 により新種 として『植物学雑誌』へ記載 された際に使用されたため、当地の個体が本種の標本木(ホロタイプ )[ † 2] とされたが、すでに記載されていた P. calleryana と同一のものであることが後に判明し、牧野が記載したシノニム は後発学名であるため取り消されている(後述)。
発見当時の生育地周辺はクロマツ 林の広がる丘陵地帯 であったが、阿倉川地区では明治末期 から大正期 にかけ四日市の地場産業 として知られる萬古焼 の製造工場が新設されたことに加え、当地は四日市の中心部に近いことから宅地開発 が急速に進み雑木林 が伐採されるようになった。そのため希少種であるイヌナシを保護する目的から、 1922年 (大正 11年)10月12日に国の天然記念物 に指定された[ 1] [ 10] [ 11] 。
解説
東阿倉川イヌナシ自生地は三重県北部の四日市市中心市街地に隣接する阿倉川地区に所在する。阿倉川地区は1930年 (昭和 5年)に四日市市に編入されるまでは同県三重郡 海蔵村 であったところで、伊勢湾 に注ぐ海蔵川 左岸 (北岸)の沖積低地 から少し段丘 を登った標高 約15メートル付近に、国の天然記念物に指定されているイヌナシの自生地がある。付近の丘陵地 は羽津山(はづやま)と呼ばれる一帯で、古くから陶磁器 萬古焼 の生産地として知られており、明治後期頃まではクロマツ やネザサ の疎らな雑木林 が点在する地域であった。
イヌナシは日本国内の野生ナシとしては最も原始的な種で、果実 の直径が1センチメートル 程度と極めて小さく、豆粒 のように小さいという意味から「豆梨」の名称が付けられているが、強い渋味 を持ち人間の食用に適さないことから四日市周辺の三重県内では「犬梨」と呼ばれ、三重県内における自生地や個体に対しては今日も「イヌナシ」の名称が使用されている。
東阿倉川イヌナシ自生地の実測図。昭和9年11月7日測量。
大正10年に作成された東阿倉川イヌナシのスケッチ。内務省天然紀念物調査報告書。
昭和9年4月29日撮影の東阿倉川イヌナシ自生地。当時は松林に囲まれていた様子が分かる。松林中に茂るのがイヌナシ、右奥に白く見える石柱が今日も残る指定石碑。
この自生地のイヌナシは1902年 (明治 35年)4月13日、当時の四日市尋常小学校 (現、四日市市立中部西小学校 )教諭 の植松栄太郎、今井久米蔵、寺岡嘉太郎の3名により発見され、翌1903年 (明治36年)以降、地元四日市の植物学者である川崎光次郎や中原剛作[ 15] らによって採集され、これらを元に牧野富太郎 による調査鑑定の結果が行われ『植物学雑誌第二十二巻』に新種 として、学名:Pyrus dimorphophylla Makino [ 16] と記載 された。牧野が命名した当初の学名にあるdimorphophylla とは「二形葉を有する」という意味であり、この阿倉川の自生地に生育する個体が本種(実際には新種ではなかった)の標本木となったが、当初から牧野は論文の中で"...it may be perhaps identical to P. Calleryana Decne"(67頁)と書いており[ 16] 、イヌナシはすでに記載されていた P. calleryana である可能性を認識していたと考えられる。その後やはり同一種であることが判明し、今日の学名は Pyrus calleryana Decne. とされる[ 17] [ 18] 。
自生地周辺の空中写真。住宅の密集する一角に所在する。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス の空中写真を基に作成。2009年4月30日撮影。
最初に発見され牧野が標本木として採集調査を行った東阿倉川自生地の、当時6株あったイヌナシの個体と、その周囲の4畝 6歩 (約416.5m2 )の範囲が「東阿倉川いぬなし自生地」として、1922年 (大正 11年)10月12日に国の天然記念物 に指定された[ 1] [ 10] [ 11] 。
その後、指定地の範囲を示す石柱 と鉄条網 が巡らされ、里道側に天然記念物指定の石碑 標柱および解説版が設けられたが、これは当時の政府より交付金 を受けた海蔵村が施工したもので、竣工日は天然記念物指定から約1年半後の1924年 (大正14年)3月30日となっており、これら範囲を囲む石柱や天然記念物指定石碑は今日も残されている。
1934年 (昭和 9年)4月29日に三重県天然記念物調査委員の服部哲太郎が行った調査によれば、東阿倉川イヌナシ自生地の所在地は東阿倉川地区より三重郡羽津村 へ向かう里道沿いの松林の中、三重県窯業試験場裏手の松林内に位置しており、指定地内の中央を流れる小さな流れにそって大小4株のイヌナシが自生していた。昭和初期の当時から当地の海蔵小学校の児童らにより自生地内の下草刈りや清掃が行われていたという。
イヌナシは栽培ナシ の品種改良 のための接ぎ木 (台木)として使用されたり、系統 調査の対象として古くから植物学者や研究機関、果樹試験場 の関係者らによって研究調査の対象とされており、天然記念物指定数年前の大正年間には、アメリカ農務省 のライマーがワシントンD.C. より当自生地を訪れ、イヌナシを採集しアメリカへ持ち帰った記録が残されている。
今日の指定地では自生株は3株残存しているが、イヌナシと他の野生ナシの交雑種 と考えられる近隣の西阿倉川アイナシ自生地 のアイナシ Pyrus uyematsuana (Makino)を含む、イヌナシの後継樹9本が残存する自生株とともに保護管理されている。
四日市市教育委員会設置の案内表示看板。
発見当時より残存する自生株の1つ。
指定地イヌナシの小さな果実。
交通アクセス
所在地
三重県四日市市東阿倉川字北出口165番地ほか[ 11] 。
交通
脚注
注釈
^ 古い資料では東海3県に加え長野県 を入れた4県とするものもある。
^ 今日の学名 に採用されている種小名 は、本種のタイプ標本を採集したフランス人 伝道師 カレリ(J. M. M. Callery )の名前にちなんでいる。石原(2014)p.50。
出典
参考文献・資料
加藤陸奥雄 他監修・南川幸、1995年3月20日 第1刷発行、『日本の天然記念物』、講談社 ISBN 4-06-180589-4
本田正次 、1957年12月25日 初版発行、『植物文化財 天然記念物・植物』、東京大学理学部植物学教室内 本田正次教授還暦記念会
文化庁 文化財保護部監修、1971年5月10日 初版発行、『天然記念物事典』、第一法規出版
服部哲太郎、1936年5月5日 発行、『三重縣に於ける主務大臣指定 史蹟名勝天然紀念物 第二册 名勝並天然紀念物』、三重縣
白井伸昴・志賀靖二・岡田文士、2000年1月20日 第1版発行、『東海の天然記念物』、風媒社 ISBN 4-8331-0081-9
加藤珠理・今井淳・西岡理絵・向井譲「希少種マメナシの地理的遺伝構造の評価」『森林遺伝育種』第3巻、森林遺伝育種学会、2014年1月25日、8-14頁、NAID 130007872839 。
石原則義「小幡緑地本園のマメナシ自生地の保全と保護の現状」『なごやの生物多様性』第1巻、名古屋市環境局 なごや生物多様性センター、2014年5月8日、49-58頁、ISSN 2188-2541 。
関連項目
国の天然記念物に指定された他のナシ属 は次の4件(本件を含め全5件)
外部リンク
座標 : 北緯34度59分17.7秒 東経136度37分27.4秒 / 北緯34.988250度 東経136.624278度 / 34.988250; 136.624278