東港海軍航空隊(とうこうかいぐんこうくうたい)および1942年11月1日より改称した第八五一海軍航空隊は、日本海軍の部隊の一つ。横浜海軍航空隊(浜空)に続く第二の飛行艇部隊として、外洋偵察・哨戒行動に従事した。
浜空が内南洋諸島方面のために手一杯であるため、南シナ海方面の偵察が可能な飛行艇部隊を増設する計画を④計画に盛り込んだ。昭和15年(1940年)11月15日、高雄市南郊の東港鎮の大潭(大鵬湾潟湖)を浚渫して駐機プールを建設し、浜空の要員を分派して東港海軍航空隊を開いた。
飛行艇の供給が止まる一方、来るべきフィリピンの攻防戦に必要な航空要員の捻出が必要となったために用途廃止となった。以後、マレー方面の哨戒任務は水上偵察機部隊に継承された。東港基地には開隊後に滑走路も併設され、陸上機の運用も可能となって、フィリピンおよび沖縄方面の航空作戦に使用された。
敗戦後も台湾政府が軍用地として活用していたが、民間に開放されるようになって、大鵬湾国際サーキットを始めとした施設が建設されており、大鵬湾を活用したリゾート地に変容しつつある。
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