村田 定雄(むらた さだお、1896年(明治29年)8月5日 - 1981年(昭和56年)2月2日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級
経歴
1896年(明治29年)に福岡県で生まれた。陸軍士官学校第31期、陸軍大学校第40期卒業。1939年(昭和14年)に北支那方面軍参謀として日中戦争に出動。1940年(昭和15年)陸軍歩兵大佐に進級と同時に第21師団参謀長に転じる。徐州に駐屯し、魯南剿共作戦、中原会戦で戦果を収めた。
1941年(昭和16年)に陸軍省兵務局附を経て、1944年(昭和19年)7月に第12師団参謀長となり、8月に陸軍少将に進級。台湾新竹に出征し、1945年(昭和20年)2月には第10方面軍隷下の独立混成第100旅団長兼高雄要塞司令官となり、終戦を迎えた。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。
脚注
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」85頁。
参考文献