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この項目では、東京都文京区内の地名について説明しています。現在の文京区の一部に当たる東京市の区については「本郷区」をご覧ください。 |
本郷(ほんごう)は、東京都文京区の町名。または旧東京市本郷区の範囲を指す地域名である。
本郷(地域)
東京都文京区のおよそ東半分を範囲とし、江戸・東京の山手を構成している地域の一つである。本郷は芝・麻布・赤坂・四谷・牛込・小石川と並ぶ、東京山手の外郭をなすエリアである。概ね東京旧市内で低地に比べ高台を多く占める旧区分を山手としている。そのため旧本郷区に属する本郷地域は山手にあたる。
小石川区との合併後も住居表示実施以前は「本郷○○町」と旧本郷区内大半の町が本郷を冠称していた。現在は町会、警察署や消防署、税務署の管轄などで当時の区境や町境を継承している。
歴史
豊島郡湯島郷の中に集落が出来たことに由来し湯島の中心地であったために湯島本郷とよばれていたのが、室町時代から戦国時代に本郷と呼ばれるようになったとされる[注釈 1][注釈 2]。町屋として早い時期から開け区域内には本郷地域内に弓町、元町、真砂町、金助町、菊坂町、本富士町などがあった。明治から昭和にかけて夏目漱石、坪内逍遥、樋口一葉、徳田秋声、二葉亭四迷、正岡子規、宮沢賢治、川端康成、石川啄木など多くの文人が居を構えた。
地域
- 千駄木一丁目 - 五丁目
- 西片一丁目・二丁目
- 根津一丁目・二丁目
- 本駒込一丁目 - 六丁目
- 本郷一丁目 - 七丁目
- 向丘一丁目・二丁目
- 弥生一丁目・二丁目
- 湯島一丁目 - 四丁目
- 白山一丁目(二~五丁目は小石川地域)
本郷(町名)
東京屈指の文教地区であり、南部は病院など医療施設が点在、北西部は出版関連企業および住宅が建ち並ぶ地区であり、北東部には東京大学本郷地区キャンパスがある。一帯に出版社および研究所その他関連施設が多く存在する。
地理
本郷通りが尾根となり緩やかな台地(本郷台)になっている。
歴史
明暦の大火の火元の一つ。
1878年、東京15区の一つとして本郷区が成立。
1965年4月1日、住居表示実施。本郷一-六丁目・元町一-二丁目・弓町一-二丁目・真砂町・本富士町・菊坂町・春木町一-三丁目・金助町・台町・湯島六丁目の全部に、湯島五丁目と森川町のほぼ全部・春日町二丁目・田町・龍岡町・湯島両門町の各一部を合わせた町域を一-七丁目に分けて現行の「本郷」となった。
本郷三丁目交差点角の「かねやすビル」は、1735年に歯科医の兼康祐悦が乳香散という歯磨き粉を売る店として開店した小間物屋に由来する。「本郷も かねやすまでは 江戸のうち」という川柳が残されている。
1970年11月22日、本郷二丁目の東京都水道局本郷給水所で水道管が破裂。300トンの水が噴き出し。敷地内にあった水道局宿舎17戸が浸水。原因は1899年(明治32年)に埋設された水道管の老朽化によるもの[6]。
世帯数と人口
2019年(令和元年)8月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[3]。
丁目 |
世帯数 |
人口
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本郷一丁目
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2,310世帯
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4,589人
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本郷二丁目
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1,983世帯
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3,269人
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本郷三丁目
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2,066世帯
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3,245人
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本郷四丁目
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2,399世帯
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4,323人
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本郷五丁目
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2,045世帯
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3,588人
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本郷六丁目
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1,247世帯
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2,154人
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本郷七丁目
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461世帯
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542人
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計
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12,331世帯
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21,710人
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地域の著名人
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7][8]。
施設
国際機関
行政
教育
公園
法人
医療
観光
店舗
- かねやす
- コインランドリー・ピエロ本郷
- コインランドリー・ピエロ本郷2丁目店
交通
鉄道
路線バス
道路
ギャラリー
脚注
注釈
- ^ 『御府内備考』「本郷は古しへ湯島の内にして、その本郷なれば湯島本郷と称すべきを、上略して本郷とのみ唱へしより、後世湯島と本郷とはおのづから別の地名と成りしなるべし……」
- ^ ただし、近年になって山田邦明は中世に成立した「江戸郷」の本郷、すなわち江戸本郷であったとする新説を唱えるとともに、その地域も現在の本郷よりもやや南よりの地域を称して春日から神保町付近までの地域を含んだとしている(山田邦明「古代・中世の江戸」(初出:藤田覚・大岡聡 編『街道の日本史20 江戸』(吉川弘文館、2003年)P32-41./所収:山田『鎌倉府と地域社会』(同成社、2014年))。
出典
参考文献
関連項目
外部リンク