本多忠篤
本多 忠篤(ほんだ ただあつ)は、江戸時代中期の伊勢国神戸藩の世嗣。官位は従五位下・兵部少輔。正室は甘露寺尚長の娘、継室は広橋兼広の娘。子は本多忠興(長男)、渡辺綱通正室。 略歴神戸藩初代藩主・本多忠統の三男として誕生した。 長兄の康桓は宗家である近江国膳所藩主・本多康敏の跡を継ぎ、次兄の小笠原信胤も越前国勝山藩主・小笠原信成の養嗣子となったため、三男ながら神戸藩嫡子となる。元文2年(1737年)徳川吉宗に御目見し、従五位下、兵部少輔に叙任されたが、家督相続前の延享4年(1747年)に早世した。 代わって弟の忠永が嫡子となった。 Information related to 本多忠篤 |