朝霧(あさぎり)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、春雨型駆逐艦の4番艦である。同名艦に吹雪型駆逐艦(「特II型、綾波型」)の「朝霧」があるため、こちらは「朝霧 (初代)」や「朝霧I」などと表記される。
艦歴
1903年9月18日、横須賀造船廠で竣工し、軍艦に編入され駆逐艦に類別[1]。
1904年、日露戦争が勃発し旅順口攻撃、黄海海戦に参加[1]。日本海海戦時には第2艦隊第4駆逐隊の隊旗艦として鈴木貫太郎司令が座乗した[5]。
1914年、青島の戦いに参加[1]。1922年4月1日、特務艇(二等掃海艇)に類別変更。1923年4月1日、雑役船(魚雷標的船)に編入。1925年2月14日、廃船[1]。
艦長
※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 艦長
- 石川寿次郎 少佐:1903年8月7日 -
- 土師勘四郎 少佐:1905年1月12日 - 1905年5月25日
- 飯田延太郎 大尉:1905年4月5日 - 12月12日
- 駆逐艦長
- 飯田延太郎 大尉:1905年12月12日 - 1906年1月25日
- 森本義寛 少佐:1906年1月25日 - 5月10日
- (兼)秀島七三郎 中佐:1906年5月10日 - 9月13日
- (兼)岡田雄三 大尉:1906年9月13日 - 1907年5月17日
- 河北一男 大尉:1907年5月17日 - 1908年4月20日
- (兼)木村豊樹 大尉:1908年4月20日 - 9月25日
- 副島慶一 大尉:1908年9月25日 - 1910年5月23日
- 野村与一 大尉:1910年5月23日 - 1911年11月1日
- (兼)及川古志郎 大尉:1911年11月1日 - 12月1日
- 松岡雄 大尉:1911年12月1日 - 1912年5月22日
- 大金実 少佐:1912年5月22日 - 不詳
- 中島寿度 少佐:不詳 - 1915年8月3日[6]
- 高鍋三吉 大尉:1915年8月3日[6] - 1915年12月13日
- 広岡正治 大尉:1915年12月13日 - 1916年12月1日
- 原精太郎 大尉:1916年12月1日 - 1917年12月1日
- 山之内種助 大尉:1917年12月1日[7] - 1919年12月1日[8]
- 大島四郎 大尉:1919年12月1日 - 1921年12月1日
- (兼)一ノ瀬英太 少佐:1921年12月1日[9] - 1922年3月20日[10]
- (兼)片原常次郎 少佐:1922年3月20日 - 1922年11月10日
脚注
参考文献
- 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
- 『世界の艦船増刊第107集 日本駆逐艦史』海人社、2012年12月。
関連項目
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掃海艇 |
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掃海特務艇a |
一等掃海特務艇ab | |
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二等掃海特務艇ab | |
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第一号型 | |
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戦利掃海特務艇 |
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- a. 1923年6月30日 「掃海艇」を「掃海特務艇」に改正
- b. 1933年5月23日等級廃止
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