有馬 純彦(ありま すみひこ、1890年(明治23年)5月28日 - 1944年(昭和19年)7月18日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
1890年(明治23年)に鹿児島県で生まれた。陸軍士官学校第24期卒業。1938年(昭和13年)7月15日に陸軍歩兵大佐進級と同時に都城連隊区司令官に着任。1940年(昭和15年)8月に歩兵第23連隊長に転じ、1941年(昭和16年)12月に第11国境守備隊長を経て、1944年(昭和19年)4月2日に第24歩兵団司令部附となった[3]。4月4日には第24師団からの充当部隊と独立歩兵3個大隊から編制された第9派遣隊長に就任し、サイパン島に出征。5月27日には第4派遣隊を改編した独立混成第49旅団長に転じ、ヤップ島に配備されたが、戦傷を負ったことから6月26日に第31軍司令部附となり、サイパン島付近で遭難し、7月18日に戦死。同日任陸軍少将。
脚注
参考文献