曽我健

曽我 健(そが けん、1936年 - )は、NHK交響楽団名誉顧問、はごろもフーズ株式会社監査役。新潟県[1] [2] [3]中蒲原郡亀田町[4](現在の新潟市江南区)出身。

人物・経歴

新潟大学卒業後、1958年NHK入局[1]。社会部記者、その後副部長となる。

1976年4月 『ニュースセンター640』キャスター。番組の途中で涙を見せるハプニングも見せた。

1984年4月から1986年3月まで、『NHKニュースワイド』2代目キャスターに就任。初日に「ニュースワイドはこれで終わりです」と言って視聴者、スタッフをビックリさせた。『NHK特集』キャスターとしては、教育国鉄円高シリーズなどの分野での鋭い見識に定評[2]

1987年から1989年6月までNHK静岡放送局長。同年6月末にNHK解説委員長として東京に復帰[5]

1991年から解説委員室解説委員長。専務理事・放送総局長となった。川口幹夫会長の命により「奥ヒマラヤ禁断の王国・ムスタン」問題調査委員会委員を務め、訂正放送で説明を担当し、記者会見で謝罪を行った[6]

1996年1月5日からNHK交響楽団理事長を務める[7][8]

脚注

  1. ^ a b 現代日本人名錄. 2. 日外アソシエーツ. (1987). p. 903. ISBN 9784816907395. https://books.google.co.jp/books?id=BiARAQAAMAAJ&q=%22%E6%9B%BD%E6%88%91+%E5%81%A5%22&dq=%22%E6%9B%BD%E6%88%91+%E5%81%A5%22&hl=ja&newbks=1&newbks_redir=0&sa=X&ved=2ahUKEwjC5qTSr-DxAhWVA94KHbf4Cz84ChDoATAGegQICxAC 2021年7月14日閲覧。 
  2. ^ a b NHKテレビシンポジュウム「21世紀の都市像を探る 地球都市・名古屋」” (1991年8月26日). 2021年7月14日閲覧。
  3. ^ 全国各種団体名鑑 2006(上巻). 原書房. p. 1133. ISBN 9784562041473. https://books.google.co.jp/books?id=nMbmAAAAMAAJ&q=%22%E6%9B%BD%E6%88%91+%E5%81%A5%22%E3%80%80+%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%A5%BD%E5%9B%A3&dq=%22%E6%9B%BD%E6%88%91+%E5%81%A5%22%E3%80%80+%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%A5%BD%E5%9B%A3&hl=ja&newbks=1&newbks_redir=0&sa=X&ved=2ahUKEwjOtd-NteDxAhURBN4KHdz2B1QQ6AEwAXoECAgQAg 2021年7月14日閲覧。 
  4. ^ 「広報かめだ(No.696)」2000年8月1日発行。
  5. ^ 禅僧ガンと生きる: 荒金天倫老師の 1,200日. 鈴木出版. (1990). pp. 130,134. ISBN 9784790210375 
  6. ^ 大森幸男 (1994). 放送界この20年: 放送史・月錄1972-93. 新聞通信調查会. p. 364. ISBN 9784764103139 
  7. ^ 「N響ニュース 当団理事長に曽我健が就任」『フィルハーモニー = Philharmony』、NHK交響楽団、1996年1月1日、9頁、NDLJP:2258999/11 
  8. ^ NHK年鑑 '97. 日本放送出版協会,. (1997). p. 658. https://books.google.co.jp/books?id=DxG2AAAAIAAJ&q=%22%E6%9B%BD%E6%88%91+%E5%81%A5%22%E3%80%80+%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%A5%BD%E5%9B%A3&dq=%22%E6%9B%BD%E6%88%91+%E5%81%A5%22%E3%80%80+%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%A5%BD%E5%9B%A3&hl=ja&newbks=1&newbks_redir=0&sa=X&ved=2ahUKEwiggM79teDxAhXXPXAKHWihAgEQ6AEwBHoECAkQAg 2021年7月14日閲覧。 

外部リンク