景宗(けいそう)は、遼の第5代皇帝。諱は明扆。
生涯
第3代皇帝世宗の次男。応暦19年(969年)、第4代皇帝であった穆宗が暗殺されると、その後継者として重臣たちに擁されて即位した。北宋に対抗するために、北漢と同盟を結んだ。乾亨4年(982年)、雲州(現在の山西省大同市)で崩御した。享年34。
宗室
后妃
子
- 耶律文殊奴(隆緒、聖宗)
- 耶律普賢奴(隆慶、秦晋王、皇太弟)
- 耶律普徳奴(隆裕、斉王)
- 耶律薬師奴(早逝)
女
- 耶律観音女(秦晋国大長公主、蕭継先の妻)
- 耶律長寿女(衛国公主、蕭排押の妻)
- 耶律延寿女(越国公主、蕭恒徳の妻)
- 耶律淑哥(盧俊の妻)
脚注
- ^ 『遼史』世宗本紀に、「天禄二年秋七月壬申、皇子賢生」との記述がある。ユリウス暦で換算すれば948年9月1日となる。