時乗 寿(時乘 壽、ときのり ひさし、1882年(明治15年)1月25日 - 1944年(昭和19年)5月1日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
山口県出身。初名は鶴松。1902年(明治35年)陸軍士官学校第14期卒業。翌年6月、陸軍砲兵少尉に任官する。1909年(明治42年)12月、陸軍大学校に入校し、1912年(大正元年)11月、陸軍大学校第24期卒業。1920年(大正9年)8月1日、名前を鶴松から寿へ改名[5]。
1924年(大正13年)3月、陸軍大学校教官に転じ、同年8月、陸軍砲兵大佐に進む。ついで1928年(昭和3年)3月、野戦重砲兵第8連隊長を経て、1929年(昭和4年)12月、陸軍少将に進級と同時に陸軍大学校教官となり、1931年(昭和6年)8月、野戦重砲兵第2旅団長、1933年(昭和8年)3月、豊予要塞司令官、同年9月、陸軍重砲兵学校長と歴任し、同年12月には陸軍中将に進んだ。1934年(昭和9年)8月1日に待命し、同月30日、予備役に編入した。
親族
栄典
脚注
- ^ 『官報』第3028号、1922年9月4日。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献