『日の丸行進曲』(ひのまるこうしんきょく)は、1938年(昭和13年)3月10日にビクターレコードから発売された国民歌。レコード番号J-54300。
大阪毎日新聞、東京日日新聞が募集した懸賞歌で、1938年2月11日から2月28日まで募集し、応募数は2万3805通[1]であった。そして、同年3月10日に発表された。
作詞は有本憲次、作曲は細川武夫。吹き込みは、徳山璉、波岡惣一郎、四家文子、中村淑子、能勢妙子、江戸川蘭子で、神田今川橋のビクタースタジオではなく赤坂溜池の三会堂ビルの最上階講堂を使用して録音されたので残響が豊かである。伴奏は日本ビクター管絃楽団と表記されているが、間奏部分の金管楽器の演奏技量・内藤清五遺品のレコード・特約店に配布の広報誌ビクターの録音当日の写真が伴奏楽団を避ける構図である事から海軍軍楽隊の隊員の一部が参加している可能性が高い。
ビクターの大宣伝も功を奏し、15万枚[2]のレコードを売った。
歌詞
一、
母の背中にちさい手で
振ったあの日の日の丸の
遠いほのかな思い出が
胸に燃え立つ愛国の
血潮の中にまだ残る
二、
梅に桜にまた菊に
いつも掲げた日の丸の
光仰いだ故郷の家
忠と考とをその門で
誓って伸びた健男児
三、
ひとりの姉が嫁ぐ宵
買ったばかりの日の丸を
運ぶ箪笥の抽斗へ
母が納めた感激を
今も思えば目がうるむ
四、
去年の秋よ強者に
召出だされて日の丸を
敵の城頭高々と
一番乗りにうち立てた
手柄はためく勝ちいくさ
五、
永久に栄える日本の
国の章の日の丸が
光そそげば果てもない
地球の上に朝が来る
平和かがやく朝がくる
脚注