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方言札(ほうげんふだ)あるいは方言罰札とは、標準語を普及させる手段として、主に学校において、非標準語(地方言語・方言)の使用者に掛けさせた札のこと。
各国での使用
フランスでは、オック語・プロヴァンス語・ブルトン語などの地方言語をフランス標準語に対する方言とし、方言を話した生徒に方言札を掛けさせて、見せしめにするということが行われた[1]。またイギリスのウェールズでも、同様の例としてWelsh Notがあった [2]。
フランスの方言札制度は日本にも取り入れられ、特に日本本土との言語差が大きい沖縄県の教育現場で熱心に行われた。沖縄県での方言札の実態は、2001年4月1日放送のNHK「日本のことば」の沖縄県特集でも紹介された。それによると、方言札はカマボコ板くらいの木札に紐を通したもので、学校で方言を話すと札を首に掛けなければならず、外すには他の生徒が方言を話すのを発見するしかなかった。しかし、方言札制度に反発する生徒によって却って校内での方言が盛んになった例もあり、1917年(大正6年)に「方言取締令」を出した沖縄県立第一中学校長の山口沢之助をもじって「大和口 札取る毎に思うかな 方言の札はやめ沢之助」という反発歌が校門に貼られた逸話がある[3]。竹富島の喜宝院蒐集館では、竹富小学校で使用されていた方言札が展示されている。[4]
沖縄県のほかに東北地方[3]や鹿児島県[5]でも同様の標準語教育が行われた。
日本が委任統治していたパラオの学校でも日本語の使用が強制される場面があり、校内でパラオ語を話した生徒に「私はパラオ語を話しました」と書いた札を首から下げさせる日本人教員もいたという[6]。
文献
関連項目
- 同化政策
- 皇民化 - 日本統治時代の台湾において家庭内での日本語常時使用を推進する「国語家庭」制度が設けられた。
- ネサヨ運動 - 関東地方における方言矯正運動。
- グラマースクール - ラテン語を流暢に操れるようになるために校長によっては英語で話す生徒に対する罰を推奨することもあった。
- 言語純化運動 - 16~17世紀、19世紀に欧州やトルコなどで実施された正統表現回帰、異言語排斥運動。