折竹 錫(おりたけ たまう、1884年(明治17年)1月11日[1][2] - 1950年(昭和25年)1月13日[1][2])は、大正から昭和時代の日本の翻訳家、フランス語学者。号に蓼峰、多音祐、R.T.O[1][2]。
経歴・人物
旧信濃国松本藩士・折竹嘉鋭の長男として長野県諏訪郡にて生まれる[2]。1908年(明治41年)東京帝国大学文学部仏文科を卒業後、陸軍教授を経て、第三高等学校教授となり、河盛好蔵、桑原武夫らに教えた[1][2]。フランス・ドイツ留学を経て、旧制福岡高等学校長に任ぜられ、その後は、関西日仏学館(現:アンスティチュ・フランセ日本の前身の一つ)教授などを歴任する[1][2]。
著作
脚注
参考文献
九州大学総長(第3代福岡高等学校長:1941年-1945年) |
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前身諸学校・大学長 |
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| 九州大学附属工業専門部長 |
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九州帝国大学附属工業専門部長 |
- 事務取扱/部長 河東卓四郎 1944/1944-1945
- 事務取扱/部長 張玄彦 1945/1945-1946
- 坂井甚吉 1946-1947
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九州大学附属工業専門部長 | |
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| | | 九州大学附属医学専門部長 |
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九州帝国大学臨時附属医学専門部主事 | |
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九州帝国大学附属医学専門部長 | |
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九州大学附属医学専門部長 | |
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