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2013年 7月8日 - ジャンル
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チャンネル登録者数・総再生回数は000000002022-01-13-0000 2022年1月13日 時点。 テンプレートを表示
成瀬 昌由 (なるせ まさゆき、1973年 3月15日 - )は、日本 の男性 プロレスラー 、総合格闘家 。東京都 杉並区 出身。血液型 O型。
来歴
松涛館空手で初段を獲得。1991年、前田日明 主宰のリングス の第一回新人テストに合格し入門、1992年8月16日、有明コロシアム での山本宜久 戦でプロデビュー(対戦相手の山本も同日デビュー)。軽量級ながら、空手仕込みの打撃と、前田直伝の関節技を武器に体格差のある相手と対戦。1993年頃盛んに開催されたリングス「実験リーグ」では、名勝負を数多く製造し、「実験リーグ男 」の異名を取った。
1997年、リングス軽量級王者を決める「トーナメント21」で優勝し、初代王者に君臨。以後、2度の防衛を果たした(2001年2月に返上)。しかし、度重なるケガに悩まされ、欠場と復帰を繰り返し、1999年6月24日の金原弘光 戦を最後に椎間板ヘルニア のために長期欠場を余儀なくされる。手術とリハビリの末、2001年3月20日、リカルド・フィエート戦で1年9か月ぶりに復帰。KOKルールとなってから初の試合となったが、アンクルホールド で一本勝ちを納める。
同年5月に山本宜久と共にリングスを退団。その後は新日本プロレス に主戦場を移す。7月20日の札幌ドーム大会で行われたIWGPジュニアヘビー級選手権での田中稔 戦で初参戦を果たし、この試合に勝利してIWGPジュニア王座を獲得。しかし10月8日の東京ドーム大会の石澤常光 戦で開始26秒で敗れ王座を失う。以降は本格的に参戦を果たし、ジュニア戦線で活躍。後に「無差別級」を合言葉にヘビー級とも渡り合った。2002年に正式に入団。2004年11月、リングス時代の先輩長井満也 とアジアタッグ王者 となり、以後2度の防衛を果たした。
2006年1月、新日本を退団しフリーになった[ 1] (現在は主にインストラクターや総合のセコンドなどプロレス以外の仕事をしている)。
総合格闘技では、フリー参戦の2001年から新日本選手の参戦に際し、その練習パートナーとして常に帯同。永田裕志 、ケンドー・カシン 、安田忠夫 、獣神サンダー・ライガー 、矢野通 、ブルー・ウルフ 、ジョシュ・バーネット といったメンバーの練習や本番のセコンドに就き、徹底したバックアップを行った。当時の新日本にはセコンドを務められる人材の不足が顕著であり、リングス時代の長い経験を持つ成瀬が頻繁にセコンドに付いている。自らも、2003年12月31日のK-1 PREMIUM 2003 Dynamite!! でK-1の大巨人ヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤ と対戦。身長差38cm、体重差50kgのハンデを覆し、チョークスリーパーで一本勝ちを納めている。同日参戦した新日本選手唯一の勝利者であったにもかかわらず、なぜかこの時はリングスのバスタオルを掲げていた。また、新日本プロレスの総合ルールULTIMATE CRASH ルールの作成にも携わった。
2013年10月27日、「GRABAKA LIVE! 3」で菊田早苗 とノーグローブマッチで対戦[ 2] [ 3] 。
2016年、パーソナルジム・REZAEV (リザエヴ)荻窪店を開店[ 4] 。
人物
ファンクラブが存在し、不定期に「成瀬教室」という運動セミナーを開いている。
2009年3月22日のNHK大河ドラマ 『天地人 』第12話に出演。端役ではあるが役者デビューを果たした。
株式会社スーパーエージェントとマネジメント 契約。
2010年にラリー・カールトンと松本孝弘によってブルーノート東京で行われたライブを収録したDVD『Larry Carlton&Tak Matsumoto LIVE 2010 “TAKE YOUR PICK”at BLUE NOTE TOKYO』において全曲ではないが、時折上手側(ラリー側)の客席に映っているのが確認できる。ライブに訪れた日時が偶然DVD収録日だったらしい
新日本プロレス時代の略歴
2001年7月20日、札幌ドームでの田中稔戦に初登場。IWGPジュニアヘビー級選手権として行われたこの試合で勝利し、第40代IWGPジュニア王者となった。以後1度の防衛を果たした。
2001年10月8日、東京ドームでのケンドー・カシン (この時は素顔で登場)とのIWGPジュニアヘビー級選手権に王者として参戦。26秒跳びつき腕ひしぎ逆十字固めに敗れ王座陥落。
2001年12月31日、INOKI BOM-BA-YE 2001 に参戦したケンドー・カシン、永田裕志 、安田忠夫 のセコンドに(それ以前に、永田、ドン・フライ の総合特訓にも帯同している)。安田の勝利に貢献。
2002年1月、新日本プロレス入団。
2002年6月7日、フリー参戦していたバス・ルッテン と対戦。KO負けを喫した。
2002年8月29日、当時大阪プロレス に所属していた村浜武洋 と対戦。時間切れ引き分けに終わる。
2002年10月14日、佐々木健介 退団騒動によって空席となった村上和成 (当時は村上一成)の対戦相手に立候補し、東京ドームの新日本VS外敵軍7番勝負の第3戦に登場。黒のオープンフィンガーグローブ を着けた村上に対抗して青色のグローブで試合に臨むが、敗北を喫した。
2002年11月30日、獣神サンダー・ライガー のパンクラス参戦のセコンドに。
2002年12月、ヒート派と反ヒート派の抗争でヒート派に組する。
2003年1月、東京ドーム大会後、右肩の手術のため欠場。その間にULTIMATE CRASHルール作成に携わり、また同大会の運営に関わる。
2003年6月13日、鈴木みのる の新日本復帰戦に自ら名乗りを挙げ、日本武道館で対戦するも敗戦。試合後、魔界倶楽部 星野総裁に魔界マスクを手渡される。また、この戦い以後、鈴木とのタッグを組まれることが多くなった。
2003年7月、魔界倶楽部からの執拗な勧誘があった。同時に当時魔界5号を名乗っていた長井満也 との抗争が勃発。この抗争は2年近くに渡り、幾度かのタッグ結成を経て両者の退団まで続くことになる。8月には成瀬にそっくりな覆面レスラー「スズキくん」が現れる。
2003年8月31日、矢野通 、飯塚高史 のパンクラス参戦のセコンドに。
2003年11月、成田空港でアントニオ猪木 にINOKI BOM-BA-YE 2003 参戦を直訴。
2003年12月31日、K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!! でヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤ と対戦。勝利。
2004年1月4日、安田忠夫と対戦し、開始30秒スリーパーホールド によりレフェリーストップ勝ち。
2004年1月28日、棚橋弘至 の持つIWGP・U-30無差別級王座に挑戦するもドラゴン・スープレックス・ホールド により敗北。
2004年3月28日、獣神サンダー・ライガーの持つGHCジュニアヘビー級王座 に挑戦するも敗北(NOAH以外の団体初のGHC王座をかけたタイトルマッチ)。
2004年5月22日、ブルー・ウルフ のK-1 ROMANEX 参戦のセコンドに。
2004年9月19日、アントニオ猪木の命令で、垣原賢人 、長井満也、柳澤龍志 、中邑真輔 と共に北朝鮮で行われた第1回国際武道大会に参加。エキシビションマッチで垣原と対戦した。
2004年10月、真壁刀義 と下克上宣言を行う。
2004年10月23日、ブラジルで行われたJungle Fight 3に参戦。トニー・ウィリアムスに勝利。
2004年10月31日、ジョシュ・バーネット のPRIDE参戦のセコンドを務めた。
2004年11月3日、抗争中の長井満也と組み、天龍源一郎 、渕正信 の所持するアジアタッグ王座 に挑戦(7月26日にも挑戦したが奪取失敗)。勝利し、第77代アジアタッグ王座となった。その後、2度の防衛に成功するも、2005年2月2日にベルトを失う。
2004年11月13日、「闘魂祭り」においてハッスル軍 による新日マットでのハッスルポーズを阻止。小川直也 にチョップを叩き込む。リング上で「今日は『闘魂祭り』。ハッスルしていい場じゃない。」とアピールした[ 5] 。
2005年1月4日、アルティメットロワイヤルに登場。1回戦でロン・ウォーターマン と対戦するが、パワーボムからのマウントパンチでレフェリーストップ負け。
2005年、度重なるケガにより欠場と復帰を繰り返す。下克上宣言を行った真壁刀義、矢野通がBNJ(ブラックニュージャパン)に加入後はこれと争う。長州力 が現場監督に就任すると、ケガも重り試合数が激減した。
2006年1月、契約更改せずに新日本を退団し、フリーランスとなった[ 1] 。
得意技
リングスで培った打撃と関節技を主体として試合を作る。
クレイジーサイクロン(バックブロー)
リングス時代からの成瀬の必殺技。掌打の形でのバックブロー。
ナルセロック(変形のクロスフェイス)
ガードポジション からの三角絞めの体勢から腕を奪いサイドに移り、相手の片腕を極めた状態でフェイスロック を決める。
コピィロフクラッチ(膝十字固めからの丸め込み)
ほんのごくわずかな期間しか使わなかった幻の技。アンドレイ・コピィロフ に教わったと言う。
スリーパーホールド
リングス時代、前田から伝授された技。この技でノルキヤ、安田と言った大型レスラーを数多く仕留めてきた。
キャプチュード
成瀬の師匠である前田譲りのスープレックス。
アキレス腱固め
ギロチンチョーク
バズソーキック
仰向けになった相手の上半身を起こし、相手の左側頭部を振り抜いた右足の甲で蹴り飛ばす。
各種キック
ローキック 、ミドルキック 、ハイキック 、ローリング・ソバット
テーマ曲
自らが愛聴するB'z の楽曲を数多く使用。前田曰く、メンバーからは使用を許可されているようである。
戦績
総合格闘技 戦績
22 試合
(T)KO
一本
判定
その他
引き分け
無効試合
8 勝
0
5
0
1
0
0
14 敗
2
6
3
3
勝敗
対戦相手
試合結果
大会名
開催年月日
×
近藤有己
5分2R終了 判定0-2
PANCRASE 257
2014年3月30日
×
菊田早苗
1R 2:25 腕ひしぎ十字固め
GRABAKA LIVE! 3
2013年10月27日
○
トニー・ウィリアムス
1R 腕ひしぎ十字固め
Jungle Fight 3
2004年10月23日
○
ヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤ
1R 4:40 チョークスリーパー
K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!
2003年12月31日
○
リカルド・フィエート
1R 3:46 トウホールド
リングス BATTLE GENESIS Vol.7
2001年3月20日
×
金原弘光
30分終了 判定(ポイント差)
リングス RISE 4th
1999年6月24日
×
ヴォルク・ハン
7:46 腕ひしぎ十字固め
リングス RISE 3rd
1999年5月22日
×
クリストファー・ヘイズマン
13:18 チキンウィングアームロック
リングス RISE 2nd
1999年4月23日
○
デイブ・フォン・デ・フェーン
7:36 アンクルホールド
リングス RISE 1st
1999年3月22日
×
ヨープ・カステル
8:33 TKO(ドクターストップ)
リングス WORLD MEGA-BATTLE TOURNAMENT 第一回FNRカップ'98 Aブロック一回戦
1998年12月23日
○
山本喧一
11:07 アームロック
リングス FIGHTING INTEGRATION 4th 【トーナメント21タイトルマッチ】
1998年6月27日
×
イリューヒン・ミーシャ
13:52 足首固め
リングス FIGHTING INTEGRATION 3rd
1998年5月29日
×
イリューヒン・ミーシャ
12:28 アキレス腱固め
リングス WORLD MEGA-BATTLE TOURNAMENT 1997 1st ROUND 【1回戦】
1997年10月25日
○
クリストファー・ヘイズマン
14:26 TKO
リングス FIGHTING EXTENSION 1997 Vol.6 【トーナメント21 決勝】
1997年8月13日
×
山本宜久
21:20 腕ひしぎ十字固め
リングス FIGHTING EXTENSION 1997 Vol.2
1997年4月22日
○
ヴァレンタイン・オーフレイム
12:05 TKO(レフェリーストップ)
リングス BATTLE GENESIS Vol.1 【トーナメント21 1回戦】
1997年4月4日
×
ヴァレンタイン・オーフレイム
1R 4:10 TKO(ドクターストップ)
Rings Holland: The Final Challenge
1997年2月2日
×
グロム・ザザ
10:12 ネックロック
リングス MEGA-BATTLE TOURNAMENT 1996 GRAND-FINAL
1997年1月22日
×
ヴォルク・ハン
10:24 アキレス腱固め
リングス MEGA-BATTLE TOURNAMENT 1996 1st ROUND 【1回戦】
1996年10月25日
○
イーゲン井上
11:51 反則
リングス MAELSTROM 6th 〜旗揚げ5周年記念大会〜
1996年8月24日
×
ウィリー・ピータース
10分1R終了 判定0-3
Rings Holland: Free Fight
1995年2月19日
×
ソテル・ゴチェフ
14:59 足がらみ裸絞め
リングス 1994 TOURNAMENT GRAND FINAL
1995年1月25日
タイトル歴
RINGS
新日本プロレス
全日本プロレス
脚注
出典
関連項目
外部リンク
前王者 王座新設
初代RINGS トーナメント21王者
1997年8月13日 - 2001年2月24日
次王者 王座廃止
初代-10代 11代-20代 21代-30代 31代-40代 41代-50代 51代-60代 61代-70代 71代-80代 81代-90代 91代-100代
初代-10代 11代-20代 21代-30代 31代-40代 41代-50代 51代-60代 61代-70代 71代-80代 81代-90代 91代-100代 101代-110代 111代-120代 121代-130代 新日本プロレス