志村 文雄(しむら ふみお、1898年(明治31年)12月12日 - 1973年(昭和48年)8月19日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
1898年(明治31年)に宮城県で生まれた。陸軍士官学校第31期、陸軍大学校第41期卒業。1940年(昭和15年)6月に西部軍参謀に就任し、同年8月に陸軍歩兵大佐に進級した。1941年(昭和16年)に第34師団参謀長に転じ、日中戦争に出動した。
1942年(昭和17年)に第12師団参謀長を経て、1944年(昭和19年)1月にスマトラ島の第25軍軍政監部総務部長に転じ、同年8月に陸軍少将に進級。1945年(昭和20年)にシンガポールの第7方面軍参謀副長兼軍政監部総務部長に就任し、終戦を迎えた。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]。
脚注
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」138頁。
参考文献