徳田 浄(とくだ きよし、1896年5月18日 - 1976年12月7日)は、日本の国文学者・国語学者。専門は上代文学・国語学と国語教育。
経歴
群馬県高崎市生まれ。1920年、広島高等師範学校(広島大学の前身)卒、仙台市第二中学校(宮城県仙台第二高等学校の前身)教諭。1924年、群馬県立高崎高等女学校(群馬県立高崎女子高等学校の前身)教諭。1925年、奈良女子高等師範学校(奈良女子大学の前身)教授。1943年、前橋高等女学校(群馬県立前橋女子高等学校の前身)校長。1952年、群馬県立保母学園(群馬県立保育大学校の前身)教授。1956年、関東短期大学教授。1967年、「万葉集成立攷」で東京大学より文学博士[1]。1976年12月、関東短大退職。関東学園高等学校(関東学園大学附属高等学校)の校歌を作詞した。
高崎経済大学学長を務めた徳田進は弟。明治大学教授を務めた徳田武は甥。
著書
- 『原始国文学考』目黒書店、1930 のち「古事記研究叢書 第3巻 (戦意高揚と古事記)」クレス出版 2011
- 『児童の文法』東洋図書 1930 学習資料百科全書
- 『児童の作文』東洋図書 1931 学習資料百科全書
- 『国語法査説』文学社 1936 のち勉誠出版
- 『新制国文法』文学社 1936
- 『万葉集撰定時代の研究』目黒書店 1938 のちゆまに書房
- 『国語の教育』晃文社 1939
- 『国語教育文庫 第1 読本教材の文学的考察』晃文社 1940
- 『万葉集成立攷』関東短期大学、1967 のち教育出版センター
- 『上代文学新考』徳田進共著 教育出版センター 1980
出典・脚注
- ^ “萬葉集成立攷 徳田浄”. 国立国会図書館. 2012年8月13日閲覧。
参考
- 『上代文学新考』後序 徳田浄と上代文学の研究(徳田進)