徳照寺(とくしょうじ)は神戸市中央区中山手通8丁目5-23にある浄土真宗本願寺派の寺。山号は光谷山。本尊は阿弥陀如来。この寺の梵鐘は国の重要文化財に指定されている。
歴史
創立年代は不詳。もと天台宗の草案が蓮如の摂津・播磨巡錫の際に改宗されたものと言われている[1]。
寺の縁起によれば慶長18年(1613年)頃ある浪人が出家してこの地に草庵を営んだのが始まりである。寺の記録によれば天保8年(1837年)に本堂が再建されたとある。[2]
阪神・淡路大震災により庫裏や鐘楼が全壊し、本堂も屋根瓦が落ちるなど、境内の建物に大きな被害を受けた。
銅鐘
重要文化財。総高120.5cm。、口径75.1cm。鋳銅製。鐘身は胴張りがあり、四方に袈裟襷を設けて四区に分ける[1]。竜頭は笠形をかみ、頭髪が上に伸び、双頭の接するところに宝珠を設ける[1]。笠形は甲盛り高く上に二条の圏線を置く[1]。上・下帯は連続唐草文を鋳出し、乳の間は四区[1]。乳は半球形の頭部とラッパ型の頚部からなる茸状乳の形式とする。口縁には駒爪を作り出し、鐘身高に対する撞座高の比が25.1%と平安時代後期鐘よりも鎌倉時代鐘に近い数値を示すなど、鎌倉時代鐘の先例となる過渡期の特色が顕著に認められる[1]。竜頭の方向と一致するように2つの撞座を配置する和鐘の典型的な形式は、紀年銘鐘のうちでは本鐘が最古である[1]。内側に「智炬如来破地獄真言」と「宝楼閣随心陀羅尼」の四行の梵字と五輪塔一基が陽鋳されている。
池の間一区に陽鋳されている銘文によれば、大治4年(1129年)4月7日、多治比頼友によって鋳造され、36年を経て破損したので、長寛2年(1164年)7月2日尊智上人が改鋳したとある[3]。
もと大和国添上郡にある真言宗御室派成身院の所蔵であったが、天保年間の本堂造営の時に大坂の商人から買い入れられた。
脚注
参考文献