徳川 義恕(とくがわ よしくみ、1878年11月1日 - 1946年11月4日)は、日本の陸軍軍人、侍従、男爵。
旧尾張藩主徳川慶勝の十一男として生まれる。兄の一人、徳川義宜は尾張藩主を務めたが、義恕が生まれる前に亡くなっている。なお、名前の「義恕」は父・慶勝が当初高須松平家時代に名乗っていたものと同じ諱である。
慶勝は義宜が亡くなったのに伴い、1875年(明治8年)に尾張徳川家を再継承したものの、嗣子に恵まれなかったため高松松平家から義礼を養子に迎えていた。義恕はその後に生まれたため、1888年(明治21年)6月に分家して一家を建て、慶勝の功績で男爵となった。ちなみに義恕は慶勝の正室・隼子(矩姫)に実子同様に育てられ、成人するまで自分が家を継ぐものと思いこんでいたという。
1902年(明治35年)7月に学習院中等科を卒業する。卒業後、陸軍に一年志願兵として入る。その後、陸軍歩兵少尉に任官した。日露戦争に出征し、軍功により勲六等を与えられた。1912年(大正元年)、侍従に転じる。1927年(昭和2年)、退職する。
分家・支流
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